車輪が地面を掴み機体が急激にそのスピードを落とすとそれまで咳
ひとつ無かった機内に安堵の声と拍手が沸き起こった。
その数分前、着陸体勢をとった飛行機は滑走路まであとわずかとい
うところで強風にあおられ、大きく機体を傾けたままふたたび急上昇
した。そして、もう一度着陸を試みるが駄目だった場合には羽田に引
き返すと機長からのアナウンスがあった。
試みなくていいからさっさと引き返してくれ。
俺の必死の願いを振り切り、三原山の陰の暗く凍ったような空を頼
りなく飛ぶと、飛行機は強引に2度目の着陸体勢に入ったのだった。
空港で自転車を組み立てると道を東へ下って底土港に着いた。
風は相変わらずというか、さらに強く吹き荒れ、波は防波堤を大き
く越えて飛沫をぶつけてくる。
港のはずれにキャンプ場があるはずだった。
海岸に沿って歩くと黒土の広場にコンクリートのトイレがひとつぽ
つんとあった。
ここかー。
風など遮る場所なんてどこにもなく、すぐそこで波が跳ねている。
炊事場や街灯さえも無く、むき出しの地肌が寒々しい。
いつ降り出してくるかもしれない空を見上げるとすぐに結論は出た。
民宿に泊まろう。
後日に知ったが、キャンプ場はここではなかった。
昨日は宿に入った途端に雨が降り出し、運が良いのか悪いのか複雑
な心境だった。
今日は一転、曇ってはいるが穏やかな日となった。しかし予報では
昨日に増して西の風が強いというので、この安穏は今だけ、ここだけ
のことかも知れない。
ギアを目一杯軽くして登龍峠といういかにものと思わせる峠を登っ
て行く。対向車がないので道幅いっぱいに使ってジグザグに龍を縫い
上げて行く。
今日のためにスリックタイヤに代えてあるのでいつもよりペダルが
軽い。
道ばたにはツワブキが鮮やかな黄色の花を咲かせていた。紫のアザ
ミやタラノメもまだ緑が残っていて季節感を惑わせる。
キャンプをためらった底土港が見えてきた。明るいぶんだけ海が青
く鮮やかだ。しかし防波堤は今日も白波と戦っていた。
八丈富士が雲に押しつぶされそうになりながらも山頂を覗かせてい
た。
宿のおやじさんに峠を越えたあたりにポットホールへの林道がある
と教えられた。
しばらく行くと言われたとおり右手に入る道があった。しかも2つ
並んで。どちらも舗装されていない。
比較的広い方の道を選んで進むと畑に出たが、そこからは踏み跡程
度になり廃屋で消えていた。引き返してもうひとつの道を行くとやは
りアシタバ畑で行き止まりとなった。
平地の少ない島では耕地がない。だから比較的平坦な地形を求めて
森の奥に入り込んだこんなところに畑があるのだ。峠への道でも谷に
沿って、まるで隠れるようにフェニックスが栽培されていた。
この島のフェニックスはロベニアとかいう種類で、島の人は短くロ
ベと呼んでいる。
結局ポットホールへの道は峠からさらに下ったところに立派な標識
と一緒にあった。
深い森の道を再び登り返すように進んで行くと雨が降り出した。
三原山の反対側に回り込んだので天候が変わり、予報通りに風も吹
き出した。
何度こんな目にあったことか。毎度のことに木々の間から降り注ぐ
雨を見上げて思わず笑ってしまう。
小降りになったの見計らってポットホールにある休憩小屋まで一気
に飛ばした。
きっと俺の背中や尻には跳ね上がった泥で着ぐるみのチャックがで
きているだろう。
ポットホールとは川の石が水流で回転し、その力で川底を掘り下げ
てできた丸い穴のことで、三原山はその豊富な水と軟らかな溶岩台地
のせいでいくつもそれができている。
ということは何もここへ来なくても三原山の川ならどこでも見られ
そうだ。
さらに道標は末吉まで続くとあるので辿って行くと、途中から舗装
が途切れてダートの急下降となった。火山弾のような黒い溶岩石が転
がって浅間や富士山の登山道のようだ。
こちらはマウンテンバイクだから良かったが、観光マップに載って
いるのでレンタカーなどで迷い込んだ観光客は大変な目に遭うだろう。
島の南端の集落、末吉に着いたのは出発してから3時間も経ってい
た。
スーパーのベンチで小休止。昼食を食いながらあたりを眺めている
とさすが東京なので車は品川ナンバー、しかし駐車の仕方などは大雑
把、良く言えば大らかで運転ものんびりしている。
やはりどこか南の島のにおいがする。
これでコース中の急登は終わったと油断していたらまたすぐに登龍
峠よりも急勾配の坂になった。
裏見ヶ滝温泉を目指して中田商店の交差点で折れ急坂を海岸に向かっ
て下りて行く。
主要道となる周遊道路は標高200m付近で島を一周しているので、
どこへ寄るにしてもまた戻って来るにはそれだけに登り返さなければ
ならない。
それにしてもどこまで下るのかと思った頃裏見ヶ滝の駐車場があっ
た。
勢いよく駆け込むと同時に着いたサビだらけの軽自動車から褐色に
日焼けし顔中髭だらけ、細身だが筋肉質のおやじが下りて来た。まる
でモビーディックに登場する船長のような風貌だ。支度からやはり風
呂に来たようだ。
目が合ったが怖そうなのですぐに逸らした。
このおやじと二人きりで風呂に入りたくはなかったので近くの裏見ヶ
滝や為朝神社を見に行ったりして時間をつぶそうとした。しかしその
くらいではモビーディックおやじが上がるはずもなく、空模様も怪し
く、まだ行程の半分しか来ていないので意を決した。
風呂は急峻な沢から飛び出すように作られている。太い木材で三方
を囲われた半露天で、天気が良ければ谷を割って太平洋が見渡せるよ
うになっている。
このロケーションはどこかカムイワッカに似ているが、ここではオ
オタニワタリのようなシダが谷を彩っているのでやはり南の島なのだ。
モビーディックおやじは風呂の隅で体を半分浸けて目を閉じていた。
この風呂の難点は水着着用ということである。いろいろと事情もあ
るだろうが、やっぱり風呂は裸にかぎる。
このまま何も話さずにいるのも居たたまれないので、目を開けたお
やじに声をかけると意外に愛想が良い。
この風呂が気に入っていて毎日通っているという。天気にたたられ
た話をすると、島の天気とフグにはあたらない、という言葉が島には
あると教えてくれた。そして、オンナにはあたったけどな、とニヤリ
と顔を崩して言った。
再び周遊道路に戻るまでに風呂に入ったのが無駄になるほどしっか
りと汗をかいた。
しばらく行くとまた雨が降ってきたので郵便局で雨宿りを兼ねて貯
金をする。この国際ボランティア貯金の通帳を持っての旅もそろそろ
10年になる。
黄八丈の工房ではバタンバタンと規則正しく機織りの音がこだまし、
ちょうど染め上がった金色の糸が乾されていた。この色が黄八丈の色
なのだ。名前は忘れたが島特有の植物で染められている。
においを嗅ぐと意外ににおいがしない。
工房のおにーちゃんが、臭わないでしょうという顔で笑った。
大島紬はシックで高級感ある色合いでまさしくセレブというふうだっ
たが、それに比べ黄八丈は明るく華やかな雰囲気がする。
大島紬を着たマミちゃんは美しかったが、きっと彼女なら黄八丈も
似合うだろう。
うむ、次は奄美に行こう。
樫立集落を過ぎ大賀郷へ大坂トンネルを通り抜けようとすると、出
口側からものすごい風が吹き上がって、下り坂なのにペダルを踏まな
いと前に進めなかった。
この風が玉石垣を作ったのだ。
大里集落には人の頭ほどの石を積んだ石垣が多く残っている。この
石は激しく打ち寄せる波に転げ洗われて丸くなったものだ。そしてそ
の波もこの風が作ったのだ。
島流しに遭い刀を取り上げられた侍が憂さ晴らしに叩いたのが八丈
太鼓の起源と言われている。さすがにそれはどうも間違いのようだが、
太鼓のバチ捌きはこの吹き荒れる風や砕ける波の音、石のぶつかり合
う音と競い合って生まれたに違いない。
交差点に「大・中・上」とある。「大賀郷中学校上」が正式名称だ
が長いので略されているのだ。
昨夜夕食時に一杯もらった焼酎がうまかったので、スーパーで島酒
を物色する。年内休まず営業の文字が頼もしい。
昔、新島から伝わったサツマイモが島の飢饉を救ったという。だか
ら当然サツマイモが原料かと思っていたらそうではなく麦が主流で、
あっても純粋な芋焼酎ではなく麦とのブレンドだった。
それで昨夜宿で出された酒も九州の芋焼酎より癖が無く、口当たり
が優しい感じがしたのだろう。
今日では島でサツマイモはほとんど作られていないという。また島
のサトイモは沖縄の田芋・ターンムに似た食感で美味かった。
宿に戻るとまたもや小雨が降り出し、すっかり暗くなっていた。
今日の収穫は、空港と町役場支所で無料のインターネットが可能、
歴史民族博物館とビジターセンターは正月も無休、NTTの向かいにくさ
やパンの店あり、八丈太鼓はふるさと村で聞ける、元旦に港で振舞い
料理あり等々。
天気予報では明日も大荒れ。
やっぱり民宿にして良かったと思ったのはこれで何度目になるだろ
う。
雨が白いものに変わった。横殴りの風がそれをメチャクチャにかき
乱して、南国というにはほど遠い景色となった。
ふるさと村まで送ってくれた宿のばあちゃんが、南の島に雪が降る
と笑った。
入れ違いに観光客が帰ったので誰もいなくなり、白く霰が積もった
地面でアシタバがうなだれていた。
八丈太鼓が聞けると言われて来たがそんな様子もない。職員もいな
いので高床の古民家に置いてあった太鼓を叩いてみた。
トンツク、トンツク。ひとつの太鼓に二人が向かい合い、ひとりが
下打ちという基本のリズムを打ち、もうひとりがこれに合わせてアド
リブとなる上打ちを打つのだ。そしてこの打ち方が他のどの地方にも
属さない独特の打ち方だと聞いた。
太鼓叩いて〜人様寄せてよな〜俺も会いたい〜人がいるよ〜
八丈太鼓囃子は学生時代にバンドでやったことがあるので歌詞は知っ
ている。しかしこの歌詞もたくさんあるらしい。
バチは太く重く、ひとしきり叩くと身体が熱くなった。
歴史民族博物館は展示物が日焼けなどでだいぶ疲れていて、薄暗い
館内のせいもあって何もかもがくすんでいた。おまけにこの寒さでじっ
くりと見学するという状況にない。
しかたなく図書館に行くと今度はご用納めで休み。おかげでロビー
で食おうと持ってきた弁当は塀に向かって風を背に、立ったままで食
う羽目になった。
図書館なんて多くの人が休みの日こそ開いているべきなのに日本全
国でこんな調子だ。博物館や資料館などの公共施設も大きな顔をして
休んでいるところが多い。
これらは立派な観光資源でもあるのだ。どこかの市のように観覧車
を作るよりも、こういった施設の充実と休日のオープンを全国の市町
村長に強く要請する。
今日も八丈富士は標高わずか800mだというのに上半分が雲の中
にある。
予報から登山は大晦日と決定した。といっても、島の天気とフグは
あたらないのである。
このフグとはハリセンボンのことだった。沖縄で言うアバサー、だっ
たら大当たり、高級魚だ。
この島ではどう料理するのだろうか。機会があったら食ってみたい。
終点でバスを降り、崖沿いの坂道を海に向かって歩いて行く。山蔭
で風が無く、日差しがポカポカと暖かい。まだ歌を覚えていないウグ
イスがまるで連れ添うようにどこまでも付いて来る。
キラキラと光る海を見ていると眠くさえなってくる。
2kmほど歩いて道の終わるところに10件ほどの集落があり、漁
港へ続いている。
沢水が流れ出る場所でおばちゃんがクレソンを採っていた。
この島は水に不自由しないということ聞いた。
島の生活では他にもいくつも本土にはない苦労がある。そんな離島
の暮らしも他所の島よりはマシ、他所の島よりは生活しやすいという
数少ない自慢のひとつなのだろう。
水に関するこのような話は沖縄や山陰の島でも何度か耳にしたこと
がある。
漁港を半周した広場の一角に洞輪沢温泉がある。青いブロック積み
のちょっと見では公衆トイレと間違えそうだが、中は湯量たっぷりの
6畳ほどの浴槽がある。古いが地元の人々が大切にしていることが滲
み出たような風呂である。
温泉は自噴のままに任せているいるようで、浴槽に据え付けられた
2本のパイプがゴボゴボと音を立てて湯を吐き出していた。
日ごと夜ごと漁から戻った漁師が冷えた身体を温めにやって来るの
だろう。
大晦日、やはり予報ははずれて富士山には厚い雲が掛かっている。
しかし今日を逃す訳にはいかない。
年内無休のスーパーの弁当はまだ出来上がっていなかったのでパン
を買って登山口に向かう。
登山口までの道は市街地をはずれるにつれて勾配がきつくなった。
まだ早いので車はほとんど通らない。いつものように道幅いっぱい
に使ってジグザグに漕いで登って行く。
しかし登山口からは本格的な登山となるのだ。無理して漕いで登る
よりも体力温存、さっさと降りて押した方が楽なのだ。
そう思って自転車を降りるとこんな時の限って車の上って来る音が
する。
格好悪いのでまたすぐに飛び乗り状態を大きく揺らして漕ぐ。
結局ほとんど自転車を降りることなく登山口に着いてしまった。今
度こそ本格的な登山のはずがしっかり階段が付けられてある。
毎度のことながら階段は歩幅が合わずに歩きづらい。
不満顔で登って行くと突然晴れ間が広がった。三原山や島のど真ん
中を横切る空港や八丈小島、海岸線に白い波がぶつかっている様子が
すぐそこに見える。
1200段の階段を登りきると二重火口の外側の一端に着いた。火
口の内側は原生林で覆われて、丘の中央には湿原がある。その様子は
まるでロストワールドといったふうで、いつ恐竜が首をもたげても不
思議はない。
最高点を目指し外輪山の縁を歩いて行くと、三原山に比べてずっと
新しいこの山はまだ溶岩が固まったばかりという感じの穴がいくつも
開いている。
はまると火口の底まで突き抜けそうで怖い。
エイヤッと身体を引きずり上げて最高点に着くと出迎えるかのよう
に八丈小島が眼前に立っていた。
まぶしく輝く海からすくっと、山と島がイコールで結べる凛々しい
姿をしていた。
外輪山をさらに進んで一周し、今度は火口に降りて湿原を目指した。
一見すると平坦のようだが火口の中はやはり溶岩が複雑な形を作っ
て行き手を阻んでいる。登ったり降りたり、ツツジのヤブ漕ぎして中
央火口丘の湿原に着いた。
身の回りを見渡すと360度山壁に囲まれ、1億年前の世界の主と
なったようだった。
池糖に映った空をおかずに弁当を食べているとその空がみるみるく
すんできた。
浅間神社に着くともうあたりはすっかりガスに覆われ、写真を撮り
ながらの下山を楽しみにしていたのにそれも不可能になってしまった。
自転車に乗り換えたときには雨が降り出し、その後雨脚は衰えるこ
となく、とうとう大晦日の夜は嵐になった。
夢の中でその嵐の音が八丈太鼓に変わるのが確かに聞こえた。
年が代わっても港の防波堤は休むことなく荒波と戦っていた。そこ
に太鼓の音が風を切り裂いて響く。男も女も大人も子供も、入れ替わ
り立ち替わり太鼓に向かってそれぞれのリズムを叩いている。
八丈太鼓はまさしくこの風と波とが作ったのだ。
|