「意地」
新撰組。昨年、大河ドラマでも取り上げられた。
私は、尊敬する人はと聞かれると、中学時代から土方歳三と即答していた。
彼は、日野市という東京多摩地区の百姓出身であり、近藤勇などと新撰組を結成する。
長州・薩摩などが反乱を起こしてからは、江戸・宇都宮・会津・北海道と転戦し、戦死した。
新撰組の評価は時代によって変わってきた。
人斬り集団としてテロリストのような評価の時さえあった。
しかし、実際には京都守護職松平容保の配下として、
京都の治安維持に努めていたのが、新撰組本来の姿である。
薩摩等が、間違いの無い過激思想のテロリストであり、反乱軍であった。
が、残念ながら「勝てば官軍」である・・。
百歩譲って、薩摩等も自らの信念に従っていたとして、納得してもいい。
私がどうしても許せないのは、
彦根藩のように家康以来の譜代として300年も恩を受けてきた連中が、
風向きを察知して、新撰組のいた伏見奉行所などを攻めたことで、納得しきれない。
私の母方は、会津藩士の武家である。
祖父が存命の頃までは、白虎隊の話なども伝わっており、
薩摩・長州・彦根藩などの連中に対しての、反感は非常に強かった。
結局、土方個人は負け知らずのまま、函館まで転戦するが、
五稜郭が陥落し、一人で、官軍に切り込んで戦死した。
男性から見て、彼の人生は苛烈で、人として美しい。
勝ち負けは別であり、むしろ負けを覚悟の上で、その人生に耐え切ったことは素晴らしい。
土方と共に戦いながら、最後の最後で降伏した人々は、
明治政府に組み込まれ、生き延びている。
降伏が決定した後、土方は彼を慕い共に死ぬと言う連中を説得し国に返し、
洋式の軍服を捨てて新撰組の羽織を出して、
単騎、官軍に切り込み、一本木で銃撃を受け、単身戦死した。
土方といえ、恐ろしかったことは間違いないだろう。
ただ信念と意地に従い、その孤独な人生を捨てた事を、心から尊敬する。
レベルは違えど、信念を通すか、状況に屈すのかの判断は、多い。
意地を通して負ける人、信念を曲げ生き残る人。
家族などがいる場合、判断は難しくなる。
どちらを選ぶべきだろうか・・・。
もし自分にその決断が迫られたら、
顔で笑って心で泣きながら、負けることを選ぶことが出来たらと思う。
新撰組の旗印は「誠」であり、
当時の幕府軍幹部で戦死したのは、新撰組副長・土方歳三。
その人、ただ一人。
男性の唯一の美点とは、「意地」である。
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