「後姿」




まもなく母が無くなり、7年になる。


私は、父と様々な考えの違いから、絶縁状態にある。

19でひとり立ちしてから、母と会ったのは2回だけであり、

最後にあったのは、亡くなる1年程度前である。

父と絶縁状態にあったので、母が亡くなったのを知ったのは、

無くなってから半年ほど経ってからで、母方の叔父から告げられた。


最後に母と会った時、母は癌が小康状態にあったので、実家に静養に来たときであった。


会ったのは7.8年ぶりであり、脳外科の手術を繰り返していた母は、私のことがわからなかった。

迎えに赴いた駅で、車椅子に乗り列車から駅員に伴われつつ降りてきた。

もう、私は数年ぶりの姿に泣きそうであったが、姉や叔父もいたので、我慢していた。

両手で軽くなった母を、車に乗せ変え、母の実家に向かった。

「こちらは、どなた??」と私のことを周囲に聴き、叔父が「○○じゃないか」と言うと、

「あら、大きくなったわね」と驚き、車内でいろいろ話をした。

未だに鮮明に覚えているのだが、海沿いの国道を走っているときに、

母が唐突に私に向かって「好きな人はいるの??」と聴いてきた。

その当時は、恋人もいたので、答えはイエスなのだが、

思わず泣いてしまって答えることが出来なかった。


母は脳腫瘍と癌で、自分の運命を知っているのである。


自分の最後を知っていながら、数年ぶりにあった親不孝な息子に対して、

「好きな人はいるの??」と聴くのである。

泣くまいとは決めていたが、思わずおお泣きしてしまった。


親の愛とはすさまじいものである。


半年後、静養も終わり、母が父のもとに帰る時が来た。

当然、父のもとまでは送ることが出来ないので、

叔母が付き添うことになり、羽田空港まで見送った。

出発のターミナルまで入れるのは一人なので、姉が付き添い、

私はそこの入り口で分かれることにした。

別れ間際、母は私の手を握り「もう、これで会うことは無いけど、幸せになってね」と言って、

ターミナルの中に消えていった。

私は、泣きながら「うんうん」と言うだけで、何もいえなかった。


それが、母を見た最後である。


その一年後、母は亡くなり、今では7年経つ。

毎日思い出すということはない。が・・、ふとしたときに思い出す。


私は今幸せなのだろうか・・


今度好きになった人を連れ、墓前で胸を張って報告できるだろうか・・。


困難な道を避け、安易な道を選びつつある自分に気づくときに、思い出すのである。

いろいろな人に支えられ、時折好きな人も出来、毎日を過ごしているが・・。

母に幸せかと問われたときのことを思い出すと、考え込んでしまうものである。

しかし、死の間際にいつつも子を案ずる親の愛とはすさまじい。

母が亡くなり7年経ち、今年私は35になる。

恋人のいた時期もある。




しかし、親の愛を超える愛に出会ったことは、未だにない。





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