「バイバイ、またな!」




1週間ほど前だったと思うが、勝ち組負け組の意識調査が発表された。

ヤフーなどにもでていたから、見た方もいると思う。

細かい数字まで覚えていないので、恐縮だが、

年収1000万を超えると、「俺って、勝ち組だな」と意識する人が多いらしい。

反対に年収300万程度の人は、「俺は、負け組だな・・」と思うらしい。

年収1000万は、そんなにすごいのだろうか。

1ヶ月、100万以下である。

わしも、人生のうちで、それ以上の収入を得たこともあるが、

別に「成功したどー」とも、思わなかった。

逆に、無収入で2年ほどぶらぶらしていたこともあるが、

特に「わしって、忘れられてるな・・」とも、感じなかった。

確かに、お金はいくらあっても邪魔にはならないし、

欲しいものを買ったり、良質の教育を得たり、美味な食事を得たりできるだろう。

我々30代は、バブル世代である。

六本木では、フェラーリ・BMWが「カローラ」と言われ、

世田谷のマンションが10億とか言った頃の時代である。

うちの父は製鉄会社の開発部から、一念発起して土方からはじめ、

不動産会社を立ち上げ、幸運にもバブル絶頂期に成功した。

当時、中学生ながら、父の収入には驚くものがあった。

月末になるとアタッシュケースにびっちりと万札を詰めて、帰ってきていた。

引っ越すたびに、済んだ地区の長者番付にのっていたから、成功者だったと思う。

日本で1番金のかかる私立にも通わせてもらったし、

広い家にも住まわせてもらった。

(中学の当時の私の部屋は、現在の私の部屋の倍はあった・・)



が、しかしである。

トラブルの90パーセントは、金で解決するし、不満も減るだろう。

だが、残りの10パーセントこそ重要であり、金では解決できない。

親元を離れ、援助も受けず、新聞配達から、わしは仕事というものをはじめた。

新聞屋さんでは、わしの部屋は「2畳」である。

部屋に案内されたとき、思わず「ここは物置か?」と思った・・。

給料も食費などを引くと、5万程度しか残らなかったが、

実家にいたときに比べると、なんともいえない幸福感はあった。

フリーター時代には、デートする金も無く、新宿の花園神社で待ち合わせして、

吉野家で牛丼デートしていた。

20代後半になり、何の縁か、たまたま高収入に恵まれ、物欲のとりこになって、

「ここから、ここまで、全部頂戴」的買い物もしたが、

今考えると、その当時の経験と言うのは、現在のわしのなんの基礎にもなっていない。

牛丼食べていた頃のほうが、確実にわしの根幹に近い。

もちろん、浪費せず堅実な人もいると思う。

しかし、現在の社会では満ち足りた生活をしようと思えば、

その目的であるはずの生活を犠牲にして、仕事をせざるを得ない。



矛盾である。



街行く人をみると、みんなが携帯を持ち、小奇麗な服を着て、

洒落た店で食事をして、そこそこの家に住んでいる。

そして、その生活を維持するために、その家を開けて、仕事をしている。

その価値観に慣れすぎて、その以下では満足感を得られない。



それが、ベストな選択なのだろうか・・。



わしは一人身で、恐らくこれからも1人であるだろうから、

自分の食い扶持と、葬式代さえあれば、別にことかくことも無い。

今現在は、高い車も立派な家も特に必要と思わないし、

本当に求めるものは、金では買えないものばかりである。

人それぞれの価値観ではあるだろうが、

1日1000円でも満ち足りた気持ちの生活をする人もいるし、

1億稼いでも、追い立てられるように働き続ける者もいる。

よく「立って半畳、寝て一畳」というが、

わしは年取ったら、田舎にでも引っ越して、魚や卵でも採って、

1杯のお米に手を合わせることさえできれば、それで充分満足だ。




わしの思う「勝ち組」とは、人生最後の一呼吸で、

周りに笑って「バイバイ、またな♪」と言える人生を送った人だ。





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