五箇篠山城         Topへ

五箇篠山城は、多気郡勢和村に残る戦国時代の城跡である。

県内には多くの城跡が残るけれど、近世の城郭を除けば、関連文献の残るものは少ない。その
少ないものの一つがこの城跡である。

この城の文献上の初見は、南北朝。南朝側にたつ北畠氏の被官 五箇景雅が1343年伊勢守護
仁木義長に攻められている。その後野呂氏が入り、長い間放置されていた。最後の輝きは、信長が
本能寺で討たれ、好機と見た北畠具教の弟、北畠具親の蜂起により、この城に立て籠もり戦った
ことだろうか。この時は、2日間の戦いの後あえなく落城。以後忘れ去られた城となった。

独立丘陵上に建ち、頂部に防御を施している。堀切が各郭を別け、低い土塁が主曲和に残っている。
主曲輪の周りに帯曲輪が巡り、防御の形を整えている。

この城の飲み水は、天水のようで主曲輪のすぐ東側にそれらしき施設が残っている。また主曲輪の
虎口は、小さいながらも枡型を継承しており、北畠具親の時に改修されたのであろう。


☆所在地 三重県多気郡勢和村朝柄

 

 

 

 
                                      2007.7.15 撮影