行者山砦    Topへ

行き方 : 伊賀市の青山町諸木公民館を目標に自家用車を走らせるより方法が無い。勿論バスなどの公共交通手段はあるのだろうが、一時間か二時間に一本程度のバスを待って
いては捗りません。

登城説明 : 老川を過ぎ、諸木公民館前を通過し低い峠を越える手前で自動車を停める。この右側山頂に行者山砦があった。山麓から尾根を見上げると、山腹に削平地らしきものが
見えた。そこはやはり削平地であり、背後(南側)を登ると北側に低土塁を廻らせた尾根であった。これが城域なのか、後世の産物なのか、判断は付きかねた。
 (これ以外に、諸木公
民館裏を登ると気楽に登れるようである。)
   
この尾根を登ると、頂上近くはますます傾斜が厳しくなり、中世城郭であることを実感する。頂上に登るとそこは東西南北共15m程度の削平地になっており、この南側に主郭が土塁を
伴って残っていた。だからこの曲輪は北方を守る副郭と判断した。副郭と主郭との間には堀切が走っている。

 主郭の廻りの西側にある腰曲輪は東では堀切になっている。南側には別の小さな曲輪があるがこの曲輪から主郭への登り道が見え、その先端に土塁が喰い違いになっていた。
 主郭の北にも喰い違い虎口があるやに聞いているが、小生にはこれは後世に棲んでいた行者様が通われた破壊道ではないのかな、と思っている。
歴史的事実 : 山麓に見える方のご説明では、この集落は江戸時代には、東姓の方(千葉アズマ氏で平氏とか)と諸木姓の方がこの諸木の集落の有力者で、近世には交代で庄屋を
務めていた。両氏とも北畠氏の家臣だった。で、諸木の城と行者山城は、どちらがどちらか知らないが両者の城だったのではないだろうか。また行者山城は、役の行者(の系統の行者)
が住んでおり、その方の少年時代には、まだ住んでいた小屋が残されていた。との事です。

 有名な第二次天正伊賀の乱では北畠信雄が老川を通る際、この付近も通り、その際この城を織田豊臣様に改造したのではないだろうか。


 

  

  

  

                                                                                          2013年10月27日撮影

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