八太城                Topへ

八太城山頂からは、一志の平野を一望することが出来る。

「永禄年間(1558〜70)、北畠氏家臣 田上讃岐守とその子右近が在城した。天正四年(1576)
北畠氏が滅びると、田上氏は秀吉に仕えるも兵衛尉が朝鮮の役で戦死。田上氏は断絶。

八太城は、北畠氏滅亡の後信雄によって日置大膳亮に与えられたが、信雄秀吉の対立後、
秀吉は蒲生氏郷の与力生駒弥五左衛門尉を移している。」
   
                                        日本城郭大系 より


山頂には、祠がまつられておりその後方に僅かに高い土塁が回っている。北畠氏の城らしく、
土塁と平入虎口が印象に残る。 織田・豊臣の城を回った後では防御に物足りなさを感ずる。


☆所在地 三重県津市一志町八太字板取谷

 

 
                                          2006.5.2 撮影