八田城                Topへ

伊勢国司北畠氏の中村谷における一支城で、鎌倉時代相模の国から三浦盛時がここに
来て土塁を築いた。
北畠具教が国司のころ大和多氏が城主であったが、1569年秋、信長により攻撃された。
大和多氏は和睦の後、城を立ち退き土着した。

城は、小高い丘陵上にたち、水の手、主郭、副郭、食違い土塁など、興味深い防御施設が
備えられている。
主郭大手は2折れ1空間の枡形、搦め手は堀切を超えて食い違いになっている。

☆所在地 三重県一志郡嬉野町八田字城山


 

 

 


 2004.1.4 撮影

 

 

 2005.1.3 撮影