稲垣城 Topへ
北畠氏の家臣川原田実秀が築城。 その子隆秀の時、蒲生氏郷に攻められ落城。
主郭部は高さ2m以上の土塁や堀に守られ、二の郭・三の郭と防御を固めている。
☆所在地 津市白山町稲垣字中山

二の丸 三の丸

土橋 土橋

堀切 井戸

切岸 虎口

見張り台 主郭

つぶて 全景
2003.2.23 撮影
再度訪問 2010.3.11
かなり以前に訪問したことがあったのだが、近くまで来たので寄ってみた。 すると、前回には気付かなかった
ことが散見された。
以前は、「日本城郭体系」を神様のごとく扱っており、それ以外を信用していなかったので、そこに書かれている
こと以外の事柄は全て抹消してきた。 それがため、主郭とその東西に備えられた曲輪以外を無視していた。
それが、今回再訪した時、再発見したので報告します。
まず、城域を区切る堀切と土塁、堀切が残されていた。 これは細い尾根の部分に巧みに設置されていた。
そこから主郭までの部分は、戦後の食糧事情悪化の影響から、耕作されたような畝を幾本も見ることができる。
この部分はまた、外側に土塁があったのかもしれない。一部にその痕跡が残っている。場所により『つぶて石』と
思われる集石場所があり、防御構造の一端を垣間見ることが出来る。 主郭を廻っている土塁は西側が高く、
北西隅は分厚くなっており櫓の存在を予想させる。 ただその直下に残る主郭内の掘り込みは、何を意図して
いるのか分からない。常識的には井戸だと思うが・・・・
主郭の東側にある一曲輪には、堀切を挟んでもう一つの曲輪がある。 これは、主郭東三曲輪と呼ぶことにする。
ここは非常に狭い曲輪で、いざというときは殆ど役に立たぬ曲輪のようだ。実はその先、東四曲輪と東五曲輪の
存在に気付いてはいなかった。四曲輪の幅はその尾根一杯で約10m、長さ13m。 曲輪の幅も同様やく10m、
長さは少し長く約20mはあった。 五曲輪から四曲輪には南側に坂道が残されており、この通路を使って活動して
いたものと思われる。 さらに、四曲輪の面は腰曲輪となって三曲輪の南側に回りこみ、更に主郭東一曲輪に
続いている。 つまり、 いざと言う時、攻守の要となる丘陵最先端の東五曲輪や4曲輪の戦闘状況によっては、
主郭や東一曲輪からの応援が即時出来る様になっている。 現場に即応した配置になっている、ということである。
これまで気付いていないことが多いことから、これからは以前訪問した城にも再度訪問するようにしようと思って
いる。






2010.3.11 撮影