戦国時代の伊勢の国は、どうなっていたのだろうか。
伊勢の国は、大きく四つに分割して概観することが出来る。
1. およそ雲出川を境にして一志郡以南は伊勢国司北畠氏
北畠氏は北畠親房の後裔で多気城(一志郡美杉村)を本拠とし、木造城(久居市木造町)、
田丸城(度会郡玉城町)、大河内城(松阪市大河内町)、坂内城(松阪市坂内町)、波瀬
城(一志郡一志町)、岩内城(松阪市岩内町)、藤方城()に一門の者を置き、また所領内を
四人の家老に分治させた。
2. 安濃郡・庵芸郡は長野氏
長野氏は鎌倉御家人工藤祐経の子孫で、伊勢平氏残党討伐の命令により、長野に居付いた
もの。 雲林院城(安芸郡芸濃町)、細野城(安芸郡安濃町)、草生城(安芸郡安濃町)、家
所城(安芸郡美里村)、分部城(津市分部)の五分家を出し、繁栄した。
3. 鈴鹿郡・河曲郡は関氏
関氏は平重盛以来の系譜を持ち、亀山城(亀山市)を本拠に神戸城(鈴鹿市神戸)、国府城
(鈴鹿市国府)、鹿伏兎城(鈴鹿郡関町加太)、峰城(亀山市川崎町)に一門を据え、関五家
は結束して戦い、関一揆として恐れられたという。
4. それ以北は「北勢四八家」と称し、千種氏を棟梁とする地侍の集まり
千種氏を中心とした北勢諸豪族をいうが、四八氏に限定したわけではなく沢山のという意味だろう。
諸氏の利害は必ずしも一致しないので、同心したとは言え心もとないものであった。
主な者は、藤原の藤太秀郷の後裔を任じる田原氏は赤堀、浜田、羽津の三家に分かれ(いずれ
も四日市市)夫々城を築き、采女城(四日市市)には後藤氏が、楠城(楠町)には正成の子孫と
言われる楠氏、東冨田城(四日市市)には南部氏、茂福城(四日市市)には朝倉氏、萱生城(四
日市市)には春日部氏、治田城(藤原町)には楠氏の一族治田氏が夫々所領していた。

