神戸城            Topへ

「伊勢平氏の子孫関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(14世紀)飯野寺家町の地に沢城を築いたが、
戦国時代の1550年代には、この地に神戸城を築いて移った。

神戸氏七代目友盛は、北勢に威を振るったが、信長軍の侵攻により永禄十一年(1568)その三男
信孝を養子に迎えて和睦した。

信孝は、天正八年(1580)ここに金箔の瓦を用いた五重の天守閣を築いた。しかし、本能寺の変後
岐阜城に移り、翌年秀吉と対立して知多半島で自刃し、文禄四年(1595)には天守閣も桑名城に
移され、江戸時代を通して天守閣は造られず、石垣だけが残された。」
                                          城跡に残る案内板から

城跡の大部分が県立神戸高校の敷地になり、そのほかは市街化の中にあり、少しばかりの公園と
共にヒッソリと残る城跡である。

☆所在地 三重県鈴鹿市神戸本多町


 

 2007.12.23 撮影