川俣谷のお城            Top へ

飯高は川俣谷の諸領主(波瀬の峯、乙栗栖、田引、粟野、赤桶など)は、一揆をなしており、
全て北畠の家臣で、本能寺の変で織田信長が殺された後、旧主北畠具教の弟具親が北畠
の復興を求め立ち上がった時、具教に味方した為、織田信雄により滅ぼされている。
           
              参照・・・北畠氏家臣団地図



赤桶城 (あこう)

城は丘陵いただきに15m程の削平地と堀切を持ったもの。小規模なものだが周囲は
急峻な斜面なので要害の地と言える。

☆所在地 飯南郡飯高町赤桶字城山 

 
        遠景                             大手道

 
    堀切                                堀切

 
    切岸                                腰郭

 
       主郭                              屋敷跡
     
                             2003.01.05 & 4.28 撮影




九曲城 (つづらくま)   

方形で平均幅4m高さ1.5m程の土塁や堀切を持っている。
谷の東西を抑える要の地に立つ


☆所在地 飯南郡飯高町九十九曲字中道・城山

 
     遠景                                堀切

    
   切岸                         切岸

 
     腰郭                                二の郭

 
      主郭                               主郭
                 2003.01.05 & 4.28 撮影



富永館
北畠氏の全盛期には富永政所と呼ばれ、川俣谷における北畠の家政機関の役割を
果たしていた。
削平地・土塁の一部、堀切の一部が残る。

☆所在地 飯南郡飯高町富永字殿林

 2003.01.05 撮影


波瀬城(飯高)

波瀬集落内の丘陵頂部にある。
北畠具親の挙兵に際し、近くの峯城主共々一味同心す。

城跡には目立ったものは残っていない。


☆所在地 飯南郡飯高町波瀬字城山


               遠望                         遠望

                           2003.4.28 撮影