近長谷寺城             Topへ

近長谷寺の奥山にある南北朝時代の城。 神山城と共に伊勢の国、南朝の本拠地。
井戸跡や削平地などが残る。

この頃の城は典型的な山城なので、ハイキングのつもりで行ってください。頂上からの眺めは
素晴らしい。

☆所在地 多気郡多気町長谷字城山


 
      堀割                                   主郭

 
        井戸                                 井戸

 
        眺望                               遠景 
                   2003.01.04 & 05 撮影

再訪問      2008.1.3

久しぶりに訪問した。 理由は、この城を訪問してより五年を経過し、小生も様々な城を見せて
もらうに、このHPに書かれていることだけではあまりに貧弱且つ雑に思え、何かを改めて披露
するのも一興かと思ったからであります。

この城はご存知の通り南北朝期の城である。 前国立歴史博物館の千田嘉博教授が述べて
おられる通り、その頃の城は防御のための普請はあまりしていない。むしろ山深く高い山の頂に
築くことで防御をしている、ということである。

従ってこの城もその例に漏れず、主曲輪を初め他の曲輪にも土塁を一切設けていない。主曲輪の
虎口は、後世公園化のため階段を設置したとき破壊されたのであろう、まったく改造されており
わからない。 ただ他の資料から平虎口であったろう。主曲輪とその下の削平地(二の曲輪)との
比高差は5mを測る。 掘割の先端は幅6m〜7m深さ5m〜6mの竪堀となり横移動を防止している。
更に掘割の西側は甘いが10m×10mの別の曲輪となっている。更にその西側は、幅6m深さ2mの
堀切となっている。 登り口(大手道)の東側には、前回訪問した時井戸跡らしきものがあり、今回も
確認しようとしたが、前回と違い籔のジャングルと化しており、とても確認できる状態ではなかった。
また、南北期の城跡によくある普請で、小さな曲輪を階段状に設置してあるとのことだが、この城にも
大手道のあちこちにそのような跡が確認できる。