松本城            Topへ

四日市市西部の団地造成により消滅。団地東部の神社に石碑が最近建てられた。この神社も
その城域と予想されたのだろう。

源平争乱の末期、平家の都落ちに同道しない伊勢平氏の一族は、自分の領地に帰り源氏からの
締め付けに抵抗したが、源義経により制圧。 元暦元年(1184)8月、平信兼の子息兼時・信衡・
兼衡などが処分された。更に源氏の締め付けが厳しくなり、平氏一族は一層危機感を強め最後の
賭けに出た。いわゆる『三日平氏の乱』である。この城はこの時の城跡と伝えられている。

元久元年(1204)三月、守護山内首藤経俊に若菜五郎らが組織した雅楽助維基・進士三郎基度・
松本三郎盛光・四郎・九郎らが蜂起。山内氏は京に逃げるも、追討使平賀朝雅が任命され現地
到着前に住民らにより鎮圧された。


☆所在地 三重県四日市市松本町字里中

 
                                            2005.12.17 撮影