峯出城 Topへ 老川の城 へ
大手道を登ると、堀切かと思われるほど幅の広い虎口に出会う。これはその先にある墓地のため
広げられたのだろう。 墓地を過ぎると直ぐ郭内である。 北西を除く三方には高さ1〜2mの土塁が
残っている。また、虎口の脇は3mほどの高さがある削平地になっており、見張台を予見させる。
この老川地区を見て回る途中、偶然にも『老川の里』を著わした老村重次氏に出会う。
そして城跡を探し回る私の苦衷を察してか城まで案内してもらい、さらにその著書までいただき感謝の
言葉もありません。聞けば、この書は老村氏傘寿の去年著述されたとの事、頭が下がります。
このような方があちらこちらにお見えになるから、まだ日本が日本らしく生きているのだと実感しました。
しかし、このような方が残らなくなる時には、もう昔のことが分からなくなるのだろうなあ。
この『老川の里』によれば、「城主は島野左近将監。甲斐国の武田信玄の重臣島野左近将監がこの
地に住み着き城を築き、孫に当たる島地文平氏住んだと伝えられている。この城の砦、史城群が先程の
奥の谷や峯出の城である。」とのこと。
しかし、信玄がこの地にまで手を回していたとは驚いた。この言を信じれば、信玄と当地守護北畠氏か
天正伊賀の乱以前の伊賀国人領主が緊密な連絡を持っていたのだろうか。
にわかには信じられない話ではあった。
☆所在地 三重県名賀郡青山町老川


2005.12.25 撮影