永井氏城    Topへ

今回から初めて「伊賀城館調査会」に参加し、この城を訪れた。今回はこの山の持主の永井さんが同道して下された。
親切そうな風貌の持ち主で、昼食の時お話しを伺うと、口伝ながら御先祖には内膳正の官職名を持った方がお見えに
なり、菩提寺を建立してから自分で16代であり、その以前から居住すれども詳らかでは無い、とのこと。

主曲輪は丘の頂上にあり、東西南北共に(土塁上)約40mを測る。伊賀地方特有の単郭方形の城である。伊賀街道を
攻撃正面としているのでしょう。

東に虎口を設け、四方には高さ6〜8mの土塁を削りだしている。城に入るには山麓東側から階段状の屋敷地の間を
通り、道なりに南に曲がり斜面の細い道を登る。登った所は少し広くお稲荷様が祀られている。更に今度は180°廻ると
虎口受け(武者隠し)、その後ろに虎口が待っている。
また虎口の南側(左側)土塁を登ると土塁上に細い道が続き、曲輪
奥の土塁上の見張り台に続く。此の見張り台は、縦横夫々5m以上のちょっとした曲輪になっている。
単郭方形の城ながら、虎口に虎口受けを設け、城道に入ってくる敵の背中に攻撃できるように縄張りしたり、後方の堀切
には折れを作ったり、その先には方墳や円墳を利用したりと戦国の城らしい防御構造を持っている。
この城の建設は、虎口の在りようや、見張り台の存在などから室町末期の天正伊賀の乱辺りでしょう。

行き方:
 伊賀街道(R163)を伊賀市から長野方面に走り、伊賀市大山田支所を超えた辺りにある出後橋(いずごばし)で
 服部川を越える。越えたその先に丘陵が見えるその頂上にこの城がある。

☆所在地 三重県伊賀市出後字中出山


 

 

 

 

 

  2011.12.18 & 12.24 撮影