野尻城 Topへ
丘陵上にある平山城。 郭・土塁・堀跡が残る。
三岐鉄道により北側は破壊されているが、見学するのに充分値する。
鹿や猪の糞が多くあり、自然がよく残っていることを痛感する。(03.02.08)
ー 再訪 ー
9月の敬老の日の休日、この城に再訪した。この日はあいにく暑く、風の少ない日であった。
HPではこの城を詳述していなかったので、軽く紹介しよう。
日本城郭大系によれば、この城は文治年間(1185〜90)に輪田右馬允が居城し、のち白瀬庄司が
入り、そして六代にわたって領した。その後日置大膳・日向および塩谷兵部らが居城。
白瀬と言えば、この近くにある白瀬城も城主は白瀬氏である、白瀬城は永禄年間近藤氏居城と
なっており、この間白瀬氏が守備したのか。また、白瀬氏は連歌師宗朴の「東山日記」にも登場して
おり、宗朴はこの野尻城を来訪したのかもしれない。
それにしても、今日の再訪は散々であった。 山蛭の大群に襲われたからです。
写真撮影や縄張りを確認するためほんの10秒も立ち止まったら、たちまち足元からゾロゾロと登って
くる。左足の一匹を退治すれば、右足には既に二匹が吸血準備中。「この野郎」とばかり退治すれば、
もう左足に二匹這い回っている始末。早々に退散しました。
主郭は、丘陵頂部に北東西の三方を土塁に囲まれており、虎口は南方西部に二折れして開かれて
いる。大手道からは、横矢を効かせた土塁の間を登り、蔀土塁を回って主郭に入る。この蔀土塁間は
武者隠しになっている。この間主郭や副郭からは監視の目が光り、常に横矢を意識しなければならぬ。
規模はそれほど大きくはないが、地形を上手く利用して、コンパクトに良くまとめられていた。
☆所在地 員弁郡藤原町西野尻字南谷

土塁 土塁

土塁 井戸
切岸 切岸

虎口 つぶて
遠望 03.02.08 撮影

05.09.19 撮影