大鳥居城             Topへ

中世史上避けて通れない出来事の一つに『一向一揆』がある。中でも伊勢長島での信長との戦いは、
この地での結末がその後の日本を決定付けたといっても過言でないほど、大きな出来事であった。

本願寺宗家の指令に盲目的に従った門徒たちは、信長の『なで斬り根絶やし』戦術により、鉄砲の
一斉射撃や一所に集めその周りを薪炭で囲み火を放つ、などで5万とも10万とも言われる死者を出し、
撤退したその城跡である。

日本城郭体系を始め多くの書物には、この城が長良川の流れが変わり水底に沈んだやに書かれて
いるが、この町に暮らす方々はそうは思っておらず、「昔より東と西に三昧と呼ぶ場所があって、西の
三昧がお城の跡だ」と言い伝えられている。この町をふとしたことから訪れ、たまたま道を訊いた方が
この城の城主 水谷弥兵衛の末裔に当る方の奥さんだったことから、貴重な話しを聞くことが出来た。
その中で、前述の一箇所に門徒達を集め、火を放ったのはこの城のことだった、とも聞いた。
確かに私もこの城での出来事と理解していた。

☆所在地 三重県桑名市 多度町大鳥居

 
                                  2008.3.31 撮影