大仰城・真盛上人誕生寺      Topへ

 「真盛上人は、嘉吉三年(1443)正月28日この地で生まれ、幼名を宝珠丸と名付けられた。 (中略)
父は小泉左近尉藤能といい、かの紀貫之十七世の末孫で、国司北畠敬具に仕え、大仰城を築いた。母は
家城の西川家出身で夫婦共深く神仏を信仰した。

上人は若くして比叡山に登り、天台宗の奥儀を究め、天台真盛宗の開祖となった。後、世俗に出て、念仏弘通に
その生涯をささげ、明応四年(1495) 伊賀西蓮寺で往生された。  一志町教育委員会」
                                                誕生寺に残る説明文より

また、近くにある雲出川に残る「地蔵菩薩」由来については、

 「この渕は天台真盛宗の宗祖(円戒国師、慈摂大師)真盛上人ゆかりの地である。母君が地蔵尊より珠を授けて
頂いた夢を見られ、大仰誕生寺境内の屋敷跡(小泉家)にて出生せられたのが真盛上人である(1443)。

上人は幼名を宝珠丸といい、宝徳2年(1450)御年7才の頃、出家されるについて、父母との別離を哀しみ
むずかられたので、父 藤能は一時の方便に大仰河に流せと命じた。侍者は真に受け笠に入れて権現ケ渕に
流すと不思議にも河上に向かって逆さに流れ、此の渕に着き祥雲俄かに起こり、宝珠丸を包み岩の上に助け
上げられた、と伝わられる。


その後、川口光明寺(白山町川口光明山盛源寺)盛源律師に随いさらに比叡山に登り、厳しい仏道修行を重ね、
学道成就されたのである。

宝珠丸は非常に聡明で地蔵様の化身では、と言われたので、岩石に地蔵尊を刻み、誰言うとなく渕の名を笠が
流れ着いたので「笠着地蔵」、逆さに流れ着いたので「逆着地蔵」と呼び、多く老若男女の方々より親しまれ、
信仰を集め今日に至っている。」
                               渕の際にある説明文より

誕生寺の裏山にそれらしき遺構を持つ物がありました。誕生寺の御住職の方にお伺いしますと、「北畠時代に
雲出川を遡上するのを監視する砦、見張台があちこちにあったが、今残っているのは此の一つだけ。それも
何時までも昔のままにはいないから、信仰の一助にさせていただきました」とのことで、具体的な遺構は山頂に
あった井戸跡、曲輪遺構程度でした。

                                                  2010年12月1日訪問

☆所在地 三重県津市一志町大仰1916-1
 

 

 

 
                                                 2010.12.1 撮影