坂内城 Topへ
「城跡は標高302mの山頂部、東西50m南北55mの範囲内にあり、細長い台地状を中心に平坦地・
堀切が残る。城主の居館跡思われる御所跡は、城から谷を挟んで西に見下ろした山麓にあったが、
現在は阪内幼稚園となり往時の遺構は残っていない。
本城は応永年間、伊勢国司北畠家一門の北畠雅俊が入城し、その子孫は代々坂内姓を名乗り、
『坂内御所』とも称された。天正4年(1576)11月、七代具義は北畠信雄の策略により田丸城において
殺害され本城も廃城となった。」 坂内御所跡に残る説明文より
坂内城は、北畠氏の本拠地たる美杉と大河内との接点に当たる重要な地点にあり、城主は北畠氏の
中でも重きをなしていた。それにしても16世紀後半まで残っていた城とは思えないほど防御が古臭く、
土塁すら築かれていないのはどうしたことだろう。境目の城にこそ領主の持っている最新防御設備が
持ち込まれている、と聞いているので、今度は北畠氏の防御最先端を見てみたい。
☆所在地 三重県松阪市阪内御所





2006.4.4 撮影