檜山萬多城 Topへ
「山林の中に土塁が巡らされている。 大正年間に出版された員弁郡郷土資料西藤原村の
項には『南北二十間、東西二十五間、周囲八十間あり・・・中略・・・北辺の一方は土居二十間
許りあり』と記されている。また白瀬村の項には『本丸の跡ありて、二の丸と諸氏屋敷跡は北の
方なり。城郭没落後、萬太丸助、命じて出家し』と記され、萬太丸助が城主として記されている。」
――-―――案内板より
この案内板の説明では、廃城時期が明記されていないが、白瀬城と混同しているのではないか。
比高10m程の丘陵上に作られ、西方からは幾段かの削平地を持ち、南北は堀切で区切り、
東方は切岸である。主郭には土塁は見えず、防御は希薄に感じられる。
☆所在地 員弁郡藤原町本郷

遠望 郭内
2003.2.15 撮影