白瀬城(本郷城)        Topへ

登城すると直ぐ二折れの虎口が迎えてくれる。 曲がりくねった通路に沿って前進すると、地形を
利用した高い横土塁を回り込み、城域を区切る堀底道を通り裏側に廻る。領民を家臣にした屋敷
横を通り更に木橋を渡り領民たちの屋敷横を抜け左に曲がる。もう一度木橋を渡るとようやく領主の
いる主城に到達する。
左右からの横矢を意識しながら登り直ぐ左折、いきなり前方と左右そして上部から監視を受けると
同時に何回目かの誰何を受ける。


折れを加えた大手道はこちらからは見通しが利かないが、こちらは最後まで頭上から見張られて
いるようだ。小さな馬出し状の郭の後ろが主郭への最後の関門だった。
主郭内は南北30m×東西40mとかなり大きく、周囲は土塁を伴い微高地があり右手には井戸が
あるので台所と知れる。左には主殿と思しきものが建っていたのだろう。土塁は屏風折れが発達して、
特に北東部には監視用の櫓があった。
主郭東側は二の郭、周囲には腰郭で防御している。主郭西側には30mはあろうという垂直な壁で
員弁川に落ち込んでおり、ここからの侵入は決して出来ない。


当時この城を訪問したときを想像しましたが、これほど厳重な防御にも関わらずこの城は落ちたの
です。 近郷にいる治田氏で、永禄四年(1561)時の城主近藤弾正吉綱は夜陰に乗じて攻撃され
落城と「桑名志」に書かれている。 

この城は、員弁川北岸の中森山と呼ぶ丘陵頂上に位置し、 玉垣城と員弁川をはさんで築かれて
いる。 北側は古保川が入り込み、その北に領民の居住した中森遺跡がある。つまり、丘陵南側の
領地に接してこの城があり、領民を後ろに守るように築かれていた、ということ。

☆所在地 三重県いなべ市藤原町本郷

 

 

 

 

 

 

 
                                         2005.05.07 撮影

 

 
                                  2007.2* 撮影
                                       

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