城の山城 坂田丹後守城 Topへ
正安二年(1300)坂田信濃守重次が築城し、織田信長のために焼かれ滅んだ。
―――水沢町史―――
台地先端にあり、北・東・南は川により囲まれ深い谷状の地形を呈している。残る西側は
堀切と土塁により断ち切られ主郭を守っている。
遺構の縄張り状態から坂田氏の館城であろう。
主郭内は深い籔に覆われ、内部に入ることは出来なかった。坂田氏は四日市を支配していた
浜田氏の一族といわれ、浜田氏も信長との戦いに敗れ、この近くまで逃れたが、そこで割腹した
ようで、茶畑の中に墓が残っている。
☆所在地 四日市市水沢町東条

2005.02.13 & 03.06 撮影