高角城          Topへ

高角城は、三日平氏の乱の時使われた城跡でその当時の状況どおり、現在では遺構は
残らない。

四日市市史編纂委員の駒田さんの推定によれば(昔から言われてもいたが)、この辺りに
あったようだ、とのこと。 先生の意見の通り、この辺りは周囲より2mほど高く、まして裏山に
登れば見晴らしが良くなり、谷筋に逆茂木を、尾根筋に楯を並べれば立派な城郭になったので
あろう。


☆所在地 三重県四日市市寺方町山ノ瀬古


    2006.2.12 撮

   追記 2007年12月21日


「この城は、・・・前略・・・   文治元年(1185)には、源頼朝の臣加藤次景が守ったと伝わるが
 証拠は無い。

 元久元年(1204)三日平氏の乱に、平氏の一党若菜五郎が城郭を構えた所である。元久元年、
 高角城主若菜五郎盛高、富田家資の子孫富田基度や雅楽助三浦盛時が挙兵し、伊賀、伊勢の
 守護山内首藤経俊を追ったが、五郎盛高は関の小野(亀山)で戦死したと言う事である。
 建武元年(1334)高角城は千草の臣伊藤監物吉治が守ったという。」
                              
            城址に建つ案内板

鎌倉時代の城跡ならば遺構が無くて当たり前だ。また建武年間に城が機能していたとは思われない。
高さ20m程度の高さで、天険に頼るにしては余りに低いからである。それならば、一生吹山の方が
まだ高い。

 

 
                                 2007.12.21 撮影