高城        Topへ

伊勢松阪の阿坂城(白米城)の枝城。
阿坂城などと共に国の史跡に指定されている。
阿坂神社の横の道路を100mほど走り、灌漑用の溜め池の隣がこの城である。

やはり、伊勢国司北畠氏の城で、この時代の城としては大きなほうの城。
堀切や枡形門の遺構も比較的良く遺っている。
私が訪れたとき、この土地の所有者の方がたまたま見えられており、城の遺構などを教え
ていただいた。それによると、郭内部の構造はまだ良くわかっていないが、大手口は西側
であったとのこと。
信長に攻められ、阿坂の城と運命を共にした。

☆所在地 松阪市大阿坂町市谷


 

阿坂城・枳城と共に国の史跡に        西側の虎口には枡形が控えている
指定されている。






東側の虎口
空掘りと土塁で防御
南北は夫々深い崖になっており、昇るのは困難



    2002.1.19 & 8.13 撮影


高城   その2

久し振りに高城に登り、下草が綺麗に刈り揃えられていたのを発見。この土地は私有地だとのこと。
偏に整備していただいた方に感謝申し上げます。

この曲輪内には、主殿とか会所などが揃えられ、北畠一族の誰かが居住していたのだろうか。その
ように思われるほど、生活感のある城である。もしそうであれば、微かに見える曲輪内に残る一本の
土塁状遺構、南西部に残る石の残骸が何らかのヒントを与えているようだ。想像をたくましくしてみよう。

大手は西側だろう。根拠は、何と言っても虎口が食違い、或いは枡型だから。城の地勢は西から東に
緩やかに傾斜しており、主曲輪の東側にある虎口は平入りだ。東側から城に入ろうとすると、幾つかの
曲輪、土橋を通り主曲輪東の虎口に辿り着くのだ。城外から西側の枡型虎口に辿り着くには、城の南側
土塁下を城からの横矢を意識しながら一旦城を通り越す。通り越した後北に向きを変え、高さ10mを
越す切岸を登らなければならない。漸く西側虎口に入るがこの間虎口脇にある櫓台の頭上からの監視と
横矢にさらされる。ちなみにこの櫓台に藪に隠れているが径1.3m深さ0.5mほどの窪みがあった。櫓台に
井戸があったとは聞かないが、もしかすると井戸跡かもしれない。

城内の様子は? 枡型虎口を中心に左が「ケ」の領域、右側が「ハレ」の空間になるのだろう。枡型虎口を
入って直ぐに主殿その前に広場があり遠侍か。
すると会所はどこか。会所に必要な庭の遺構は見当たらない。が、その候補として南西の角に庭石らしい
石が転がっていたからその辺りか。すると会所は主殿の南である。


しかし、この様子はどうもおかしい? これだと守るべき主城の阿坂城に敵対する形である。様々考えて
みた。この疑問を仲間に口にするとその仲間も同じ疑問を持っていたようで、「もしかするとこの城は他から
改変されていないか?」と口に出た。この言葉を聞き、「!」。私は直ぐに合点がいった!そうなのだ!この
城は阿坂城落城後、織田方により接収されただろう。引き続く大河内城攻めに使われただろうことは想像に
難くない。とすれば、城の向きが西側、大河内城方面に向いているのも理解出来る。虎口が枡形になって
いるのも、城の四周に土塁がめぐらせてあるのも理解出来る。とにかく北畠氏の城は未熟である。土塁さえ
十分に設けられていない、と言っても過言ではあるまい。土塁が廻っているのは改変されているから。
そういえば、様々な人から言われたものだ。村井教授からも、中井先生や高田さんからも。

    「城はその最後の姿を残している。いくら過去に有名な業績のある城であっても、今ある姿は最後に
     使われた姿なのだ」

 

 
                                       2007.1.3 撮影