滝川氏城 Topへ
主曲輪は70m四方で、近状の方がゲートボールをされていた。単郭方形の城であるが、南側虎口の先には
出丸があり、今は葡萄が植えられていた。北側の虎口先にも小さな曲輪があったらしく、駐車場となっており
その先はブランコなどの遊具が置かれていた。
主曲輪の西南側は二重土塁となっており、外側の土塁は麓からの高さ20mはあるであろう。空堀は箱型で
深さ高さ共5m、内側の土塁高さは8mもあろう。
滝川氏城は滝川一益の娘婿 三郎兵衛の持ち城で、滝川雄利とも名乗り、本姓は木造、北畠の一族である。
北畠信雄に仕え、天正六年(1578)伊賀統一の足掛りとして丸山城を築いたが、伊賀土豪たちの攻撃であえなく
撤退。天正九年(1581)伊賀に侵攻、容易に攻略できないため、この地に城を築いたようだ。
☆所在地 三重県名張市下小波田字下出


2010.5.13 撮影