天華寺城 Topへ
「天華寺城址、名松線と接する辺りが蓮池の跡であり、西に続いて薬師堂があった。」
(後略) 現地の史跡案内板より
数年前にこの城跡を探していた。当時は新設道路の北側を一生懸命探していた。そして、
「この場所には城跡は無い! 恐らく新設の道路により破壊された!」と断言し、その通りの
ことを書いていた。しかし、ひょんな所から下の道を歩くと、そこに『史跡案内板』が建っていた。
そして、案内板のところから登ると、そこには画像の通り立派な曲輪を区切る堀切や土塁で
囲繞された曲輪が残っていた。ただ残念なことに曲輪内は、笹薮に遮られ画像に残すことは
出来なかった。
竹田健治氏によると、この城は永禄年間(1558〜1570)信長による北畠氏への攻撃時に北畠氏の
与力として使用された。 発掘調査の結果、掘っ立て小屋の遺構も無くここで篭城していたようだ。
寺院として築かれた故に残る五輪塔や古墳の中を、当時の兵達はどんな気持ちで枕を抱いて
いたのだろうか。
☆所在地 三重県松阪市嬉野天花寺町堀田



2008.3.2 撮影