山田野城 Topへ
最後の伊勢国司北畠具教を三瀬の館で謀殺した元家臣長野左京進が、天正年間に築城。
薬師寺の左側脇を廻り込むように登るとたどり着く。最初は薬師寺の裏山かと思い、尾根道を
登った為大回りになった。
山頂に、四方を土塁に囲まれ南方に虎口を持つ主曲輪と、主曲輪虎口を防御する小曲輪を
中心にした城跡である。主曲輪より一段下がった西側には円形に削り残した土塁を持つ二の
曲輪、東側には更に一段下がって四の曲輪、北側は堀切を隔てて三の曲輪と諸曲輪を配置して
いる。
注目するのは、主曲輪虎口を防御する小曲輪で、機能面から馬出し曲輪と考えられ、長野左京進
が北畠氏を離れ織田信雄家臣となったのに伴い織田氏の築城術を与えられたためか、或いは無節
操な左京進が殺された後入城した織田信包の臣守岡金助により改修されたのか。
城域の南に下ると、別荘地として売り出されたが売れずに廃棄されたようなコンクリート製の道路が
残る。その中にクマ捕獲用の罠があり、昨年のクマ騒動を思い起こし緊張が走った。
☆所在地 三重県一志郡白山町山田野字山口



2005.12.18 撮影