青山城                           Topへ

 「城跡遺構は、愛知川河岸段丘上にあり、200m×150mの規模で残されており、居館と見られる主曲輪は、
 50m×60mの方形範囲内に幅約9m、深さ3.6mの空堀を三方に巡らし、上辺で約7〜9m、主郭内敷地から
 測って約2mの高さの土塁を廻らした堅固な構築となっている。愛知川方面に開口部があり、枡形の窪地に
 なっている。開口部右手土塁上に礎石が残っており、櫓等の建物があったと思われます。主郭内敷地にも
 礎石や井戸跡があり、西北側の堀が障子掘になっており、一部土橋と思われる進入路があります。


 城主としては、『近江愛知郡志』によると、「青山氏は青山に住し、氏を称する小椋一族なり。 新開略記に
 よれば青山左近衛門実貞、左近亮勝重、内膳信兼などは佐々木六角氏に仕えて近習たり。青山三衛門は
 足利義輝に従い戦死す。青山與三郎、同虎丸は信長に仕え本能寺に戦死す、と見ゆ。」とあり、在地豪族で
 ある小椋氏の一統であったこのが伺える。 当初佐々木京極氏に属していたのが、京極氏の衰退とともに
 六角氏に仕え、六角氏が信長に滅ぼされると信長に仕え、というように戦国の時代を巧く乗り切り、所領を
 守っていたと思われる。                                  近江の城  仲川」


☆所在地 滋賀県東近江市愛東町青山 

 

 

 

 2009.12.27 撮影