嶬峨城               Topへ

日本城郭体系に導かれるまま、この城を目指した。

「この表現からするとこの辺りだがなあ・・・・」 この山と見当を付け車で山の周囲を走ってみる。 
と近くに釣堀の経営者らしいお爺ちゃんに会った。ちなみに、お爺ちゃんは昔の城のことを知っている
もので、私も何回か助けられた事がある。年取っていてもお婆ちゃんは駄目、殆んど知らない。まして
美目麗しいからとうら若き女性に声をかけても駄目。 絶対に知らない! いつまでも粘っていると、
年甲斐も無くナンパに励む色ボケ男に見られるのがオチだ! 警察や警防団に通報される前に早々に
退散しよう。

話がとんでもない方向に外れたが、件の釣堀のお爺ちゃん 「この山にお城があったって話しご存知あり
ませんか?」私の質問に、「????」チンプンカンプンの様子。 「そんな話しは聞いたことがない!
 ここには城はありません! 稲荷社もありません!」

「あ、そうですか? また違った所なのかな? それではもう一度探してみましょう。ありがとうございました」
と失礼したものの、どれほど検討してもこの山に間違いない。臭いがする。ここは自分を信じて登ってみよう!

あった、あった!立派に残っている。あのお爺ちゃん知らないだけだ!

小さな灌漑用溜池の外側には、孟宗の竹薮の中に幾段もの段上に削平された平地が残っている。これが
恐らく幕藩時代の領主「堀田外記の陣屋敷」であろう。さすれば、この上に登れば本城に到着する筈だ。
城郭体系の説明文によれば、主郭の東側は外側からは15m内側は3m、南側は外側10m内側2mの土塁が
廻っているとのこと。ウキウキしながら登る。

「・・・・・!!・・・・・あった!」

東側から登ったので、優に15mはあろうと思われる土塁が聳えている。南側に回りこむと虎口が見える。
その虎口から内部を伺うと、内部は下草が茂っていてとても写真を撮れない。 仕方なく虎口と、土塁の
画像を保存しよう。

内部は、東西40m南北50mの方形単郭の伊賀甲賀地方の城である。

城郭体系には、この城の説明に二重土塁で虎口は南側一箇所、土塁には三日月状の膨らみが二箇所に
ある、と記述してあるが、現状は二重土塁とは見えない。南北に虎口があり、北側虎口の前にその虎口を
守るかのように蔀状の高まりがあるだけだ。高田徹さんが言っておられたように、城郭体系が完成してはや
20年以上過ぎており、信用できなくなったのかもしれない。

土塁上の三日月状膨らみは確認できた。しかし疑問が生まれた。この膨らみの目的は何だろう? 櫓? 
櫓ならこの場所より南側虎口の東側土塁幅が5mと幅を厚くしており、この部分に置けば虎口を守ると同時に
東側南側からの訪問者に強烈なインパクトを与えたであろう。

☆所在地 滋賀県甲賀市水口町嶬峨

 

 

 
                                             2006.12.21 撮影