肥田城 Topへ
城主は、近江の名族佐々貴氏の支流といわれる高野瀬氏で応仁・文明の乱以後は六角氏に属して
いた。浅井氏が六角氏から独立する戦いの時(野良田合戦 永禄三年1560)、当主は高野瀬秀隆で、
六角は義賢のちの承禎、浅井は長政である。この戦いに勝利した浅井氏はそれまでの従属関係から
解き放たれた。
実はこの前年に佐和山城をめぐる六角氏との戦いがあり、この時浅井氏の勧誘に応じた肥田城を
六角氏は水攻めにしている。この時大洪水が起こりかえって水攻めのための堤が切れ、城攻めは
失敗した。この築堤遺構が残っていたが、資材は付近の鉄道敷設に再利用され、今は石碑が寂しく
残されていた。
現地説明文には、肥田の集落を囲むように土塁と堀が残されている、と書かれていたが、年月の
経つのは早いもので、殆んど土塁を見ることは出来なかった。
また訪れた時が丁度区画整理事業とかで、堀をコンクリートで補強作業中だった。蛇足ながら、
「田圃の中に残る山王社の高まりが天主跡だ、」とした説明文があったので残しておいたが、私は
そんなもの信用していない。櫓程度は当然あったのでしょうが、天主とは・・・・。
この城は数年前の夏、訪れたことがあったが、この遺構を発見できなかった。暑い夏のことだったから、
遺構より避暑地を探していたのだろうか?残念でならぬ。
☆所在地 滋賀県彦根市肥田町

2006.11.23 撮影