井戸村氏屋敷跡      Topへ

 「この付近一帯は、戦国大名浅井氏の家臣で箕浦の土豪井戸村氏の屋敷跡である。
 同家に伝わった土地売券、寄進状などは、わが国の数少ない中世文書として歴史研究上重要な資料と
 なっている。不幸にも同家より流出したが、郷土史家中村林一氏の手を経て、現在長浜市歴史博物館の
 蔵するところとなっている。
                   平成八年十月    淡海文化 」

                    現地に残る石碑碑文より

  井戸村氏は田原籐太秀郷を祖とする藤原氏、いわゆる「江北諸籐」の一家である。坂田郡南部の天野川
  流域に広がる箕浦庄の公文、または公文代をつとめた家で、坂田郡箕浦(現米原市箕浦)に本拠を置いた。
  他の「江北諸籐」の地侍たちと同様に、同じ箕浦に本拠を置いた今井氏の家臣としても活躍した。
  また、浅井久政から井戸村氏に宛てた文書も残っており、浅井氏の家臣としての一面も持っていた。云々
                                    「長浜城歴史博物館 編著 浅井氏の興亡」より

この土地はなごみ公園として整備されていたが、小生が訪れた時は冬枯れの枯葉が舞う寒い日だったせいか、
公園には誰もおらず水路から白鷺が飛び立って行った。この近くには箕浦氏の居住地や新庄氏もいたはずだし、
この辺り不明な点が多い。

また、この地の産土神社には「源頼朝の腰掛石」なる大石と物語が残されている。その碑文には、
 「東鏡によると、この石は源頼朝がこの地を訪れた際に腰をかけたものと伝えられている。この地にあった箕浦
 市場の始まりは定かではないが、秀吉が長浜に市を開くまで、物流・交通の要衝として栄えていたことからも、
 頼朝がこの地において休息を執った事は信じられる話である。」 
箕浦の市場は、近世にも栄えており、男鬼から山を超え繭玉を運んできた記録がある、と聞く。

☆所在地 滋賀県米原市箕浦


 
                                              2011.12.3 撮影