磯野山城          Topへ

県道44号を山本山から賎ヶ岳方面に車を走らせ、川沿いの磯野町に差し掛かると川越しに磯野山城跡の
手作り看板が見える。ここが京極氏被官の磯野氏の本城である。

先程の看板手前の橋を渡り、案内通り橋際の空地に車を停め、後は歩いていく。手作りだが温かみの
ある案内板が完備されているから道に迷うことは無い。堀切道を歩くと右に登るよう指示があり、今まさに
散策路を作ったばかり、のような道を歩く。 それ程急傾斜ではない。 急な窪地などの危険箇所を回避
するように白いビニール紐が張られており、地元の方の温かなおもてなしの心を感ずる。そうこうする内に
丘陵上に着く。こちらには切岸と土橋を見ることが出来る。

登りの道が急斜面になって来た。と思ったら直ぐに平坦地が続く。後で考えればこの地区は曲輪の一つで、
この城は曲輪と曲輪とが間延びしたような中世でも早い時期の物で、防御パーツも切岸と堀切・土橋・竪堀が
残っている。土塁は無く切岸も甘いように感じるのは、古い地図によれば、この城周囲が琵琶湖の湖水により
守られていたからだろうか。

この城を、いやこの城の城主磯野氏を有名にしたのは、磯野員昌である。勇猛果敢な彼は姉川の戦いのとき、
自軍1500を率い信長の13段の陣を11段まで突破した。しかし、朝倉軍の敗走から戦線を離脱し、当時管理

していた佐和山城まで走りそこで4ヶ月間籠城した。この籠城の意味は、信長軍にとって常に腹背に敵の影を
見ることになったことである。その後、信長の勧誘により臣下となり、高島新城の城主となるが、木の芽峠の
戦いのとき謀反を疑われ、惨殺された。

☆所在地 滋賀県伊香郡高月町磯野


 

 

 

 2009.1.12 撮影