鎌掛城 (かいがけ)  Topへ   鎌掛城山屋敷へ  鎌掛城歴史ウォークへ

蒲生氏の内訌時期に築城されたようで、蒲生秀紀が1523年(大永3年)に築城の由。
秀紀は叔父高郷により毒殺され、廃城となった。わずか2年余りの短い城の生命。

「近江の城郭」を主宰する箕浦氏のHPを参考にし、登城する。懇切丁寧な登城口紹介により、
迷うことなく一気に登城し得た。感謝、感謝。

最初に目に入ったのは、櫓台の跡らしき高まり。最上の位置にあるそこからは、領内はもちろん
侵入者の全てが手に取るように掌握できたことだろう。周囲を土塁に囲んだたぶんここが主郭と
思われるが、更に下ること2・3段に再び土塁で囲んだ曲輪があり、2折れを持つ搦め手への虎口が
あることからこちらが主郭ではないか、とも思う。一応この郭は副郭としておこう。この間の城道は
横矢を効かせた細い物で、中々面白い。

さて、副郭からの搦め手道を下ると、幾つかの折れの後井戸を見ることになる。この井戸の周りには、
建物の礎石らしき石が散在し、また虎口を護る石垣様の大石が残っていることから、この城も古い
時期より石の使用を考えていたようだ。更に下る毎にいくつもの曲輪が散見される、非常に広大な
城であった。

☆所在地 滋賀県蒲生郡日野町鎌掛

 

 
                                               2005.06.04  撮影