片桐氏舘 Topへ
賤ヶ岳七本槍の一人として有名な片桐且元は、弘治二年(1556)に産まれ育った後、羽柴秀吉の小姓として仕え、
豊臣家の重臣として多大の功績を残し大坂夏の陣後、京都で病死。六十歳。京都の玉林院に葬られている。
「歩いて知る 浅井氏の興亡」より
浅井久政は築城の折、此の地を家臣の屋敷地と定め、地名を撰んだ。家臣の片桐孫右衛門(且元の父)は、この
山の谷に鷹の巣をかける岩があることから、巣ヶ谷(須賀谷)と改めた。
「須賀谷奥の片桐屋敷地看板」より
小谷城の築城は亮政と考えられているはずだが、この久政が築城云々とはどこから来たのだろうか。また観音堂の
石積は、小谷城の落城での難を避けるため、長政の命を受けた且元が此の地に運び降ろし、後此の地で祀ったと
されている。
☆所在地 滋賀県長浜市須賀谷町


2012.1.8 撮影