北之庄城 Topへ
近江八幡の八幡山を横に見ながら山道を登る。
12月9日本日二つ目の城を目指す。「近江の山城ベスト50を歩く」を参考に目指すは北之庄城。
今まで聴いた事の無い城だ。北の庄と聞けば誰でも柴田勝家を思い出すのでは?と思いつつ、
読んで行くとどうも近江八幡の近辺にあるようだ。し かも縄張りも良く残っており、縄張り図も
描いてある。ということで、今回登ったのです。従って内容についてはこの本に書かれている
通りです。(一カ所、文の説明と図の東西が入れかわっている)
北の庄町の北の庄神社境内に自動車を停め、神社社殿脇の山道を登る。 紹介した本では
徒歩45分と書いてある。それなら我々は1時間か。登るに従いカラスがうるさい、突然の訪問者に
うろたえているのだろう。あの鳴き声が嫌なので、笛を吹いてやった。対クマの用心用にいつでも
笛を持っているのだ。
「ピ、ピ〜、ピリピリピ〜」
すると「うるさい!」との声。お〜、カラスが喋る??
ビックリして声の方を見ると窓を開けて禿げたオジサンが頭から湯気をたてながら睨んでいた。
早々に逃げ出した。
声も無くムッツリとただ山を登る。山道はしっかり付いており、迷うことは無い。頂上に近づくと
公園として整備しているのか、雑木を切った跡があり大変歩きやすい。更にその上を目指すが、
この付近は整備されていない。私にはこのほうがむしろありがたい。下手に整備されると、遺構を
壊されかねないのだ。
公園から登ること10分ほどで、土橋を構えた堀切に到達する。これが城の南の端だ。この瞬間で
今までの疲れが吹っ飛ぶ。しばし佇む。
やおら、気を落ち着かせ、いざ城内へ!
堀切と土塁との高低差5mはあろうか。 土塁が四方を取り囲み、虎口は北が大手と思われる。
私が入ってきたのは、搦め手である。 この曲輪には搦め手から城内へのスロープがつけられて
おり、曲輪内部にも東西に区切る低い土塁が見て取れる。 おそらくこの土塁は曲輪内を別ける
ことにより曲輪の使い方、作業内容を分ける意図があったのだろう。北の虎口から次の曲輪への
城道をたどる。しっかり路が付いており、迷うことは無い。両側にはそれぞれ小さな曲輪があった
ようだ。土塁で区切っている所もある。下の曲輪に到着するとそこは「七つ池」と呼ばれる場所で、
どういう用途か不明、とのこと。 小生は、かなり大きい甕が埋まっていたように感じられるので、
天水、飲料水の甕か又は寺院の伝承もあるところから、染料の藍甕なども想像すると面白いな、
とも思います。「七つ池」を東へ向かうとお待ちかね「内枡形虎口」です。本の説明にあった通り、
扉の二つの柱跡と思われる窪みも見つかります。 その外側は大手道で、かなり幅広く、約3m、
権威の誇示を意図して作られたように感じる。
再び「七つ池」まで戻り、北側に進むと10m程の土塁の先は丸く盛り上がった土壇になっており
その真ん中が少しへこんでいる。 これは狼煙場かも知れないとのこと。本はこの場所が「西」と
書かれていたが実際は「東」である。地図でもそうなっている。ついでに西の先端も見て見よう。
「七つ池」から西に回るが、途中「平入り虎口」と書かれた場所を訪ねる。「平入り虎口」とは記載
されているが、外側からは真っ直ぐに入ってこられない。侵入する時は、坂を登りながら一旦右へ
折れ、左に折れなければ侵入できない。 これで平入りなのか? 疑問を持ちつつ西の先端を
訪ねる。ここは東と違い多少の岩塊が残されており、侵入する敵を安易に発見撲滅できる位置に
ある。二段になった曲輪は武者隠しとなっている。
かなり完成された城と見ることが出来る。 北の庄城は、資料上からは六角氏の一族が築城した
ようである。 しかし、中井均さんは、「近江の山城」の中で「六角氏は堀切を持った城を築かな
かった」と述べておられるが、この堀切はどうしたのかな? 今残る城は最後の姿を現している、
という考え方から、六角氏築城後どこかの誰かが改修したのだろう?
☆所在地 滋賀県近江八万市北之庄町・南津田町




2007.12.9 撮影