小堀屋敷跡・小堀藩跡   Topへ

 [小堀遠州出生地]

遠州は、天正七年(1579)当地で生まれた。その頃、父親の新助政次は、当時長浜城主であった羽柴秀吉に
仕えていた。


小堀町の共有文書の中に、江戸幕府が慶長検地に使用した慶長七年八月の年号のある「江州坂田郡小堀村
絵図」がある。それには「小堀新助殿屋敷」とあり、ここがすなわちその地にあたる。この東南には「馬かけばんば」
「ばんば堀」、また西南に「ばんば屋敷」などの地名があり、しかも、当屋敷を中心とした付近一帯の地形は、ほぼ
絵図のまま今日まで残っており貴重である。                  長浜市教育委員会・小堀町


☆所在地 滋賀県長浜市東方

 


 2011.12.3 & 2012.1.8 撮影


[小室城]

「小室城は、正保四年(1647)に千利休・古田織部とともに三大茶人として、また、江戸幕府の作事奉行を
つとめた小堀政一(遠州)の遺領を継いだ政之によって慶安元年に築かれた居館である。


以後、政恒・政房・政峯・政方と継いだが、天明八年(1788)伏見奉行であった政方のときに改易となった。

小堀家の居館や家臣の住居などは、寛政元年(1789)に大津代官所によって競売、城は廃された。
同年には跡地の荒地を開墾して畑とするように命ぜられている。


佐治家に所蔵されている「江州小室御屋敷指図」(写)によれば、南を正面として表門があり、その東から
東側の裏門にかけて長屋が鈎型に設けられ、北側は山に面し、西側と南側の西半は築地塀によって囲まれて
いたことがうかがえる。

この中に屋敷と、馬場・蔵などが建っており、他に小堀家にふさわしく、「転合庵」と「養保庵」の二つのお茶屋が
存在した。この居館の外側、主に西側と南側に家臣の屋敷が居館を取り巻くように並んでいた。」
                                           浅井町観光協会・浅井北郷土史研究会

上記にも記したように、小堀遠州の父・政次は長浜城主の羽柴秀吉や弟・秀長に仕え、大和郡山城主の秀長
宿老として活躍した。関ヶ原の後は家康に仕え、備中松山城主として大名に列席している。政一(遠州)は父と
行動を共にしており、宿舎の頼久寺に庭園を仕上げるなど、文化面に高い功績を挙げている。


☆所在地 滋賀県長浜市小室町

 
                                            2012.1.8 撮影