黒川氏城            Topへ    黒川氏城虎口考のページへ

この城は多くの郭を持ち、特に石垣に囲まれた主郭辺りには、崩れているとはいえ築城当時
の面影を色濃く残している。

しかし、参ったね。 主郭の中は鹿の糞でいっぱい。 郭の中の笹を食べるために来るんだろ
うか。 おそらく主郭内にあったであろう建物の基礎の上にも糞が・・・・・。

『黒川氏城は永禄年間(1558〜1569)黒川玄蕃佐がこの山上に築いた城である。 この山
を人々は昔から城山と呼んでいる。 現在は山林になっているが、今も山頂には東西南北各
40間の方形の旧祉があり、また、石垣、石段の一部、壕や屋敷跡が残っていて、その面影を
うかがい知ることが出来る。
 黒川氏は守護六角氏に属し、長享・明応の頃(1487〜1501)しばしば戦功をたてる。黒川
久内は、長享の乱(1487)の功により、黒川・黒滝を領有し、以後子孫世襲する。 黒川玄蕃
佐に至り、黒川氏城主として、山女原・笹路・黒川・黒滝・鮎河の松尾川東方を支配し、その子
八左衛門につたえる。
 天正13年(1585)、豊臣秀吉に、紀伊川堤防修築工事の責任を問われ、築城以来20余り
にして廃城となる。』                ー 平成4年3月 土山町教育委員会 ー

☆所在地 滋賀県甲賀郡土山町鮎河


  

  

  

  

  

  
                                                 2004.1.31 撮影

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