三田村氏館       Topへ

城跡に残る案内板には下記のとおり説明が残されていた。

「城主の三田村左衛門は今井定清と縁戚関係があり、元亀元年織田信長の攻城時には横山城の
城主を務めていたと「信長公記」にみえる。姉川合戦後は小谷城中の丸に篭り同三年八月秀吉を
通じ降参したが容れられず討伐されたと「総見記」は伝えている。 (中略)なお跡地に残る伝正寺は
三田村城の本丸的な存在であったと考えられ、(元亀騒乱の時)朝倉景健が本陣を当寺に置いた
可能性が強く、「佐々木南北諸士帳」には三田村左衛門大夫氏光、同相模守、多賀備中守が居住
したと伝える。」


約60m四方の土塁に囲まれた平地に残る屋敷跡で、現在まで残るのは極めて稀である。 土塁の
西北角が厚くなっており、櫓の存在が予想される。発掘調査の結果、北側にも副郭が残りその縁辺
にも家臣達の屋敷があったものと予想される。


☆所在地 滋賀県長浜市三田町

 

 

 
                                     2008.1.14  撮影