夏見氏城 Topへ
夏見氏城は、それまで何処に存在するか把握されていなかったが、平成19年4月に県営経営体育成基盤
整備事業に伴う発掘調査が行われ、16世紀ごろの夏見氏城にかかわる溝から完形で精巧な模様が彫金
された毛抜きが発見されました。
このとき溝の中より柵列と見られるピット穴も発見されました。
平成23年10月 その後の発掘成果などをお伺いしたところ、その後夏見氏城そのものは発掘されておらず、
とりたてて発表することは無い、とのことで、旧甲賀郡史を元に記載いたします。
応仁の乱後、六角高頼とその一党の半済を中心とする横暴により、山門宗徒や近臣たちの訴えに、将軍足利
義尚は六角討伐を長享元年(1487)開始した。本拠観音寺城を囲まれ、野洲河原の一戦で敗れた六角高頼は
甲賀に逃げた。高頼側の甲賀衆は、10月1日高頼の先鋒となり義尚勢の本拠曲の陣を急襲。六角氏征伐を
失敗に終わらせた。
この時の軍功を立てたものが53氏おり、これを甲賀五十三家と呼び、そのうち特に六角氏から感状を貰って
いる者二十一人を甲賀二十一家と呼んでいる。
聖徳2年芥川氏が残している「甲賀古士之事」によると夏見氏夏見大学が表れている。
また、天正11年8月、秀吉による浅野長政には夏見1300石を与えられている。
☆所在地 滋賀県湖南市夏見先

2011.10.9 撮影