水口岡山城 ( 水口古城 ) Topへ
水口町東方の独立丘陵上にある城郭。
中村一氏が甲賀を治めるため築城後、増田長盛、長束正家と城主が変わり、長束正家の
とき関ヶ原の戦いが始まり、甲賀武士との確執後、廃城になる。
岡山の途中にある駐車場に車を停め、ハイキング道を進めば頂上に到着。
廃城になったため、三雲城や寺院の石材を利用したとされる石垣は、崩れかけたものが
あるだけだった。残りの石材は、徳川家光の水口城に利用されたのだろう。
☆所在地 甲賀郡水口町城山

本丸 堀切

井戸 石垣

石垣 石垣

石垣 切岸

見張り台 遠景
2002.2.9 & 2003.2.1 撮影
追記
天正13年(1585)、甲賀郡の甲賀郡中惣は秀吉により解体させられる。その後に甲賀郡を領したのは中村
一氏であった。一氏は秀吉の援助を受け、古城山に築城した。天正18年(1590)、一氏は駿府城に転封され、
替わって増田長盛が入城。さらに文禄4年(1595)、長束正家が入城する。
しかし、慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍となった長束は敗れ自害する。この城はその時破壊され、
廃城となる。廃城後、主郭部の石垣は念入りに破却された、と考えられ虎口の位置さえはっきりしない。
この城には過去何回か訪問したことがあり、かなり知っていると自負していた。ところが今回久し振りに訪れて
みて、驚いた。しっかり調査され、破壊から残った石垣も見易く城道を付けられており、依然から残っていた
縄張り図は、高田徹氏の作図による立派なもの、信用できるものに作り変えられていた。現時点でもっとも
信頼できる縄張り図に違いない。城の防御思想を読み解く楽しみが増えると同時に、高田氏のこの城に
対する愛情の深さを感じる。








2010.6.6 撮影