隠岐城         Topへ

「近江守護佐々木秀義五男佐々木五郎隠岐判官義清城跡。元弘年中義清十一世孫佐々木兵庫頭
清三再城跡。義清領地故隠岐村名付山下一円門之内云々。」
                               ー 城跡に立つ大岡寺石柱裏の碑文 ー

佐々木秀義(本名 源資長)は源為義の猶子。平治の乱後、近江佐々木庄領家・預所職を没官され、
奥州藤原秀衡を頼り東下するも途中秀義の武勇に惚れていた相模渋谷庄司重国に引き留められ娘婿と
なる。子息たちも宇都宮朝綱・渋谷重国・大庭景親などの豪族級東国武士の娘婿になった。

佐々木義清の子孫は隠岐・出雲の守護職を世襲し、鎌倉幕府の有力御家人として地歩を固めた。義清
孫の秦清の子息のとき義清流佐々木氏は二流に別れ、次男時清は隠岐守護職を継承し隠岐佐々木の
祖となり、三男頼秦は出雲守護職を継承し塩冶氏の祖となった。
元弘年中(1331〜33)といえば南北朝期であろうか、清三が城として再び要害化したようだ。

北近江半国守護京極氏の重臣たる隠岐氏の城跡は、今は寺院になっており、僅かに全面に残る土塁の
残片と削平地のたたづまいが当時を偲ばせている。

☆所在地 滋賀県甲賀郡甲賀町隠岐字門ノ内


 

 2007.  撮影