大森城 Topへ
「近江の山城 ベスト50を歩く」に記載されていた布施山城の説明文には、この城の主は布施氏でも
布施三河守の系統で、蒲生郡布施を治めていた本家筋である、と。観音寺城の淡路丸は布施淡路守の
系統で、本拠は大森にある大森城である、との記載があり、それでは布施山城だけでは片手落ちになると
大森城を目指した。
「戦国の山城」の紹介されている通り来ると、八坂神社はわからなかったが、間違いなく「大森城跡」の
石柱が建っている。ここは数年前に来て途中まで登ってみたが、空が真っ暗になったのと、位置が今
ひとつわからなかったので引き返した所じゃないか。その時は車に入った直後ヒョウが降り、引き返した
事を「勇気ある決断」と自画自賛していたものだ。
今回は、天気も急変の恐れが無い様なので、道端に車を止め登って行く。細い踏み分け道も無くなった
ところで、前回同様右か左か迷ったが、どうも左の方の山が高い気がするのと登りやすかったので左の
山頂を目指した。どこの山でもそうだが本当に山が荒れている。(山麓からそうだが、この辺りでも階段状の
削平地と土塁と思しき跡が見られるのはどうしたものかな?)小枝で目を傷つけぬよう細心の注意を払って
山を登る。登ること15分くらいだろうか。漸く山頂に到着した。そこは大森城土塁の上だった。
私は最上部の曲輪を便宜上主曲輪、その西側の曲輪を副曲輪、二つの曲輪の北に位置し真ん中に土塁が
走る曲輪を三の曲輪と呼ぶことにする。大森城は、「戦国の山城」によれば、大きく三つの曲輪がある。
主曲輪の東南に尾根があり尾根断ち切る竪堀が残されている。曲輪群の南斜面には、畝状の堀切が
見えるが、画像には撮らなかった。主曲輪の周囲は高さ50cmほどの土塁が巡っており、この土塁は曲輪を
掘り込んで削り残したようだ。虎口は平入りのようだが明確でない。西南には土塁の厚い部分が在り櫓台が
予想されているが、ブッシュが多く画像を見てもわからなかった。西側の土塁を降りたところに通路上の虎口が
あるようだが、ここもブッシュが多い。仕方なくその通路を下り三の曲輪に向かう。通路は三の曲輪の真ん中に
残る土塁上を降りて行くのだが、このような通路の使用方法は、観音寺城でも見かける方法だ。この三の曲輪は、
まだブッシュが少なく画像を残しやすい。西側には天水を溜めるのか窪みがあり、井戸跡としておいた。その先に
はっきりと虎口が見える。これは平入りだ。
この城の印象は、広さは六角氏家臣の中でも有力な布施一族の城としては、適当な広さの山城であった。
しかし防御がまだまだ甘い。観音寺城であれだけ石垣を多用した布施氏がこの城では全く使用されていない。
虎口はあくまでも平入りである。このあたりは時期のせいなのかな。
☆所在地 滋賀県東近江市大森町





2008.1.19 撮影