小脇城 Topへ
小生が信奉している 滋賀県教育委員会 城郭調査事務所の伊庭さんが次の事を載せていました。
「『吾妻鏡(あづまかがみ)』には、源頼朝が建久元年(1190)に京からの帰途に「小脇」へ投宿し、四代将軍
藤原頼経が暦仁元年(1238)に「小脇」の「佐々木信綱御所」に宿泊したという記述が見えます。 これらに
出てくる「小脇」は佐々木宗家の館をさすと考えられていて、現在の小脇集落付近がその遺跡とされています。
集落周辺には、御所・馬ヤケ・コチャ門(東門)・岡門・蓬莱門(南門)・馬場といった館跡らしい地名が残されて
いて、ここに館があったことをうかがわせます。また、地籍図に見える堀田・惣田という名の細長い田は、館に
めぐらされた二町(約220m)四方の濠の名残と考えられます。
以上のことから、ここが佐々木氏の小脇館跡でほぼ間違いないと思われるのですが、その実態についてはまだ
よくわかっていません。1979年に実施された濠推定地の発掘結果では、地割りに残された濠跡が幅8〜11m、
深さ約2mの規模であったことがわかりました。また濠跡などから出土した土器類は16世紀のもので、観音寺城と
石寺の御屋形跡が整備されるまで小脇館が機能していたことを予測させます。しかし、館の内部や周囲に予想
される町や村の様子、小脇館跡の存続期間などはまったく未解明です。 ( 後 略 ) 」
要するに、この小脇には館があったようだ。それは、佐々木六角氏のものでしょうが、その内容はまだ不明です。
山の上の遺構は、誰のものか分かりません。
この場では、一応佐々木六角氏のものとしておきますが、今以降ハッキリすれば変更をします。
☆所在地 滋賀県東近江市小脇町




2009.9.27 撮影