菅浦            Topへ

恵美押勝の乱により、廃帝とされた第47代淳仁天皇の奉仕人を自認する菅浦領の人々は、中世文書の宝庫と
して名高い。 淳仁天皇は乱の後、淡路に流され、そこで幸謙上皇方からの圧迫によるものであろう心痛からか、
身罷られている。 従って菅浦と淳仁天皇との関係がどれほどあったのか、不明である。  ただ、この集落へ
大浦から入る西の要害門を潜った脇に、高さ1mほどの五輪塔が建っていた。 戸数100戸に満たぬ集落は、
中世時代には守護・地頭からの領主関係だけではなく、山門の領有、内蔵寮・御厨子所の供御人関係、日吉社
八王子宮や日吉社二宮権現との神人関係、竹生島との領有関係と、周囲の諸勢力の庇護を充分に利用する
したたかな関係を持っていた。

☆所在地 滋賀県長浜市菅浦


 

 

 
                                            2011.3.12 撮影