近江高取城(男鬼城) Topへ
この城を知ったのは、第6回のろし駅伝で番場の鎌刃城に誘われ出掛けた時、リーダー的存在の
泉良之さんから教えられたもの。10年ほど前にこの城を発見し、あちらこちらのHPで紹介されている
との由。早速HPを見たところ確かにいくつかのHPで紹介されていた。
また最近では、この城について専門的な意見も出されているようで、11月には米原市教育委員会の
中井均氏も縄張り図を発表したり、講演された、と泉さんから教わった。
そこで遅ればせながら小生も訪ねて見ようと思い立ち、12月6日訪ねた。案内で役に立つのはHPと
ばかり、添付されていた地図を拡大しよく憶え、自家車は4WDをレンタルし、喜び勇んで出かけたと
思し召されよ。
ありがたいことに最近のレンタカーは全てナビがついており、住所を入れればそこまで連れて行って
くれる。 その通り、比婆神社まで連れて行ってくれた。 比婆神社にお参りし、地図をたよりに探し
始める。先ず比婆山山頂から左にとり、尾根道をたどる。 山頂にあった赤いリボンがあちらこちらの
木々の枝に付いている。
「きっとこのマーカーが城への道しるべ」と思い込みそのマーカーをたどる。 この思い込みが悲劇の
始まりとは神ならぬ我、とんでもないことになるのです。
尾根道を100mほど歩いたところで、いきなり右に下るようにマーカーが続いている、いくつもが!
仕方なく付いてきた旧ナビがいぶかしがる。
が、「何言うとるんや、わしの言うたことに今まで間違ったことあるか?」とばかり半ば強引に引っ張って
いく。 歩く、下る。歩く、下る。 ・・・おかしい?もういい加減何かが出てきても良さそうだ。 しかし何も
それらしいものは無い。地図を取り出し再度確認する。
そうだよな、尾根をたどるが右に下るとは書いてない。仕方ない、自分自身の不明を詫び、当初の尾根
まで登る。無駄骨の登りは疲れるね。
再び先程の尾根に着き、先端を目指す。直ぐに先端だ。今度は間違いないだろう。方向も間違いない
だろう? 再び下る、歩く。下り、歩く。 ・・・おかしい?既に100mは下っている。 これだけ下っても何
にも行き着かないのは、今度も間違っているのか・・・? 旧ナビがカーナビとの地位を逆転する絶好の
チャンスとばかり、地理を必死に思い起こしている。 地図を思い起こし必死に悩む。
今度の私の判断は早かった。
「ここと違う! 帰ろう! 登るぞ!」
直ぐに登りはじめる。今度の登りは本当に疲れた。口では100mと一口だが、無駄な登り、という意識が
あるのと今度は2回目だ。 しかも間無しだから身体も休まっていない。 尾根だから直登だし、その内
腹は減るし、腹がへればめまいがするし、息も絶え絶えの状態で当初の尾根にたどり着く。
もう意地も格好もない。 着いた途端『ドタッ!』と倒れ、粗い息を吐いていた。 ようやく起き上がりふと
見ると、別の方角に降りていく道がある。 この道かも知れない? しかし、もう嫌だ!三度も間違えたら、
心ならずも師匠と呼んでくれるこの旧ナビにも弟子と師匠との縁を切られてしまう。 師匠が弟子を破門
することはあっても、弟子から師匠との縁を切った、なんて話は聞いたことが無い。 日本初の不名誉な
事態に私の名前が載るのは嫌だ。
それに昨夜の夢見が悪かった。 雪が積もってきて、帰り道が判らなくなり、遭難してしまう夢だ。 最後は
腹が減って、モチやクッキーやオニギリがちらついて、切ない夢だった。 ほんとに切ない夢だった。
せめて空腹で死ぬことだけは、遭難するのは嫌だ。 ここは、準備を整え次回に備えよう。と、尚も諦めき
れないナビを説得し、山を後にする。
準備の意味を含め、泉さんに会い様子をもう一度聞いておこうと、番場へ自動車を進めたが、あいにく
泉さんは仕事で遅くなり、電話番号を伺いその日は帰宅した。
12月8日、準備を整えた私たちは再度近江高取城に向かった。 今度も2名で、最近集まりが悪い。
またいつものナビが一緒だ。 今度は準備を整えたから大丈夫だろう。ナビと装備の確認をする。
「弁当のおにぎりは良いか?」 「おにぎり各3個 よおそろ」
「卵巻は良いか?」 「ダシ巻き卵 2個 ようそろ」
「飲料のお茶は良いか?」 「お茶PETボトル 各1本 ようそろ」
「デザートの柿や蜜柑はどうか?」 「柿 2個 蜜柑 1袋 ようそろ」
「最後に おやつは持ったか?」 「当然!ケーキを各2個 オハギ付き」
との力強い言葉が返ってき、安心して出かけた。
一昨日走ったばかりの山道を走り、思ったより速く比婆神社に到着した。 比婆山の山頂から尾根伝い
に左に歩く。 やがて先日たどったと同じ場所、石灰岩の岩の集合した場所に着く。 先だっては足を
向けなかった左に下る。 霊仙を真正面に見る。曇っていて伊吹山は見えない。
今日は準備済みだからドンドン下る。右手は植林されたヒノキ林で左手は雑木林だ。時々立ち止まり、
正面に霊仙があることを確認する。
ヒノキ林を過ぎ、少し狭い尾根道が緩斜面になったところで、【それ】は現れた。
5m×10m程の平坦地の上部に何かある。 頂部は削平されているようで、虎口状の物が見えるようだ。
その左側は竪掘状の物のようだが良くわからない。とにかく、登って見よう。
「・・・着いた・・・」
虎口と思われた場所はやはり虎口で、その先には竪掘りが備えられていた。 城は東西に長く延びた
尾根上に作られている。 虎口の南側には、5m×10m高さ1mの土塁があり、櫓があっても不思議では
ない。 この曲輪から次の曲輪へは幅1mのスロープにより簡単に登ることが出来る。この設備は上平寺
城他と同じだ。 この曲輪を通り次の曲輪には左側に城道がある。薄いがはっきりと城道を意識した造作
がしてある。この曲輪を過ぎると、深さ1.5m程の堀切が残っている。堀切は斜面の竪掘りに続いている。
堀切を過ぎると主曲輪に続く曲輪だ。 この曲輪には城道が見当たらない。 雑木が一層茂っている。
・・・土塁は作られていない。 が幅約10m長さ約30mはあろうか。これは副曲輪か?いや多分その格下の
曲輪であろう。 3曲輪と呼ぼう。 3曲輪のすぐ上部は主曲輪である。 主曲輪の東の端には曲輪内部
からの高さ1mの土塁が巡っており、その7m下は3条の堀切が口を開けて待っている。 主曲輪の南側に
尾根を掘り残した土塁を持つ副曲輪が残っており、更にその外側にも何らかの防御施設があったのでは
ないか。
主曲輪の土塁北側に土塁を補強するような人頭大の石が見える。 曲輪の中にも礎石建ちの施設が
あったような礎石を見ることが出来るが・・・どうか? 3曲輪の壁にも土留めの石列が見える。 多少とも
石を利用していたようだ。
この城の感想は、鎌刃城と良く似た雰囲気を持った城だ、ということ。
城は北に向かって構えている。 しかもすぐ下の集落男鬼や武奈ではこの城のことを知らない。
知って
いるのは、山を一つ越えた南の集落の甲頭蔵や向乃倉等他の集落に言い伝えとして残っている。
この
ことから、城主は地元の男鬼や武奈ではなく、芹川沿いの河内谷の住人であろう。
城主は誰かのHPに
書かれていた通り河内氏であろうか。
この城が北に構えているのであれば仮想敵は浅井氏か? とすれば、この城の築城主は六角氏か?
六角氏は中井均さんが述べておられるように堀切の技術を持たなかった。 しかし、この城には立派な
堀切が残っている。 これをどう解釈すればよいのか、11月に中井さんが行った講演を聞きたかった。
この結果は今後の研究に任そう。
☆所在地 滋賀県彦根市男鬼町





2007.12.8 撮影