長比砦(野瀬山城)         Topへ

この城を有名にしたのは、信長公記の浅井・朝倉攻めの項であろう。浅井・朝倉軍は信長の
天下統一に反対すべく弥高(上平寺)・長比(タケクラベ)に砦を築き、北国脇往還・中仙道を
守るべく鎌刃城の堀・樋口氏に監視させた。 ところが信長方の秀吉は砦を守る堀・樋口氏を
一晩で調略した。このことにより、信長の勢力範囲は一気に近江まで広がった。


この砦からは北国脇往還と中仙道をよく眺めることができる。
秋葉神社の脇から尾根を登り最初に四方に土塁を伴う幅7m〜15m、長さ40m程の郭を発見
する。この郭の西南側に平虎口、東南隅に二折れの虎口がある。北側の土塁と南側の土塁を
比較すると、土塁厚さや土塁下からの高さ、切岸の厳しさなど北側に対し防御しているのが理解
できる。虎口にしても南側に開いていることからもそれは理解できるであろう。帰りにこの郭の
西の端に竪堀を見つけた。攻城軍の横移動を困難にさせるためである。


この郭を抜けさらに登ると、もう一つの郭が現れる。この郭には土塁の残っている部分が少ない。
元々少なかったのかその後の改修で取り壊されたのか、わからない。主郭は尾根上のものでは
なく尾根を少し下った所にある郭ではな
いだろうか。遺構の残り具合や作り方からはそう見える。

☆所在地 滋賀県坂田郡山東町長久寺

 

 

 

 
                                                05.09.24 撮影