多喜山城 Topへ
「近江の山城 ベスト50を歩く」から訪問。 以後「近江山城本」と略称する。
日向山(にっこうやま)創生事業とかで、722段の石段によりだれでも安全に登れるようになった。
石段の脇にはミカン畑によくあるエンジンリフトが設置してあり、荷物を頂上に運搬するために
用意されているのだろう。 所々に休憩する場所があるので、焦らずゆっくりと自分のペースで
登れるようになっている。
頂上に立つと植え込みの間から整備された時協力した地区毎の記念樹(と思われる)が覗く。
この場所は曲輪である。この先に主曲輪の土塁が回り、南側(右側)から入る(東)虎口になって
いた。が、こちら側は木々が生い茂っていて解り辛い。
今では高さ50cmになった土塁を超え主曲輪に入ると、竜神さんを祀っていた。脇に井戸がある。
昔もこの水は貴重な水源だったのだろう。 竜神さんの向こうには小山が望める。櫓台である。
小山と見えたのは土塁で高さは1m程度か。土塁の中は削平地になっている。その土塁の南辺に
対応するように土塁がある。この道を低いほうに歩くと西の虎口を発見することが出来る。
「近江の山城 ベスト50を歩く」によると、この城の虎口は織豊系城郭の虎口編年の標識遺構とな
っており、食違い虎口から枡型虎口への移行期の虎口として大切なのだ。
この城は、「六角氏・湖南の一向一揆と織田信長との対立で、甲賀の山峡から湖南平野に抜ける
野洲川流域は、さながら両勢力の『境目』の様相を見せた。 この元亀の争乱に際し、織田方が
築いたと考えられている。」 「近江山城本」
☆所在地 滋賀県栗東市六地蔵・伊勢落字日向山



2008.1.5 撮影