頓宮城 Topへ
「頓宮城址は、鎌倉期には頓宮牧庄の中心部にあり、郷村制の成立と共に所を得て、土山地方における有力
土豪として成長した頓宮氏の城(砦)である。
現在、その遺構の多くは失われているが、ここより登りつめた東西に延びる一帯の台地は、城山と呼ばれており、
南・西両面は、やや屹立した要塞をなし、後方北面に空堀を巡らし、西に大日川を隔て、北城および城の前と
呼ばれる丘に続き、眼下は野洲川流域まで展望できる山塞である。
頓宮氏は、甲賀武士甲賀五三家の一つに属しており、同じく甲賀武士として中世長享の役などで活躍した土山氏、
黒川氏、大河原氏は、頓宮氏の一族である。
長享年間(1487〜1489)頓宮治三郎正盛の子、頓宮四方介利盛により音羽野城へ移住している。これにより
廃城となった。 土山町教育委員会 」
以前からこの辺りに城があってもよさそうだが・・・・・、と思っていた。少し調べただけで直ぐにヒットした。
東光禅寺の裏山に残っていた。
東光禅寺の駐車場に駐車し、案内板に沿って登ること約15分で平坦地に入る。 この平坦地は、寺院の墓地に
なっているが、Uの曲輪であろう。南東の登り口から上部の曲輪に入ると、小さな祠が祀ってあった。 しかし、
西側を除く三方を土塁が囲み、東側の一段と高くなった土塁の外側には、深さ4m巾3mの箱堀が開削されていた。
箱堀は、北側では腰曲輪となってU曲輪に繋がり、南側では後世の土取りの為一部改変されているが、箱堀と
して機能していたようだ。ただこの城の城道がどこなのかわからない。もしかすると、この土取りの場所から梯子を
利用していたのかもしれない。
☆所在地 甲賀市水口町頓宮



2012.1.12 撮影
頓宮池ノ谷城、頓宮舘跡
「甲賀市史」によると、前記頓宮城から西へ200mほど行った舌状台地の先端に「頓宮池ノ谷城」が
地籍図上から確認されるそうだ。
さらに南に200mほど行った田んぼの中に「頓宮舘」に比定される小高地が存在していた。
名前は「あげとの」と呼ばれており、一部に石垣が露呈していたそうな。今は全面圃場整備が済んでおり、
ころも地籍図から半町から1町四方の方形居館が復元できるようです。
2012.1.12 撮影