虎御前山城     Topへ

元亀三年(1572)浅井長政の籠る小谷城の攻撃に際し、信長が小谷城の前面に築いた陣城。
信長軍は朝倉氏を越前に破り、浅井軍を本城小谷に押し込め監視の目を緩めなかった。 
元亀三年八月遂に浅井氏は滅ぼされる。

多数の郭が残る。

最前線の守将は木下籐吉郎で、その陣跡からは小谷城の人の顔が見える程小谷の山々が
間近く迫ってきている。信長、堀秀政、などが縦長に陣を連ね、小さな土壇を最高所に幾つもの
帯郭を設けて小谷城を監視していたようだ。こうまで見張られていては、浅井氏はとても勝利は
おぼつかなかったに違いない。

訪れた時、この城を縄張り図として作成する大阪の男性と話し、その造詣の深さに感心する。
しかしお名前を訊くのを忘れ、心残りである。その男性によれば、城郭大系にある「山頂近くに
石垣が残る」の記述は誤りとのこと。 その通りいくら探しても見付からなかった。
いやまだどこかにあるのかも・・・。


☆所在地 滋賀県浅井郡湖北町河毛


 

 

 

 

  2005.04.16 撮影

 追記

2011年9月24日 淡海 城の会の連続講座が今回は、虎御前山だった。

朝早く、途中弁当を買いながら、でも悠々時間には間に合った。 だいたい多くの場合、我々みたいな遠くから
来る連中が早くなるものだ。

このとき説明していただいたのが、「小谷城下町の形成過程」を表した北村圭弘氏である。 このときの説明でも
途中ご説明いただいたことは参加されていた方なら覚えておいででしょう。 
小谷城の前面が、水に覆われていたなんて、この時にまで思いもよらなかった。郡上の城下町とかは知らなかったねぇ。
或いはどこかで本を読んだ記憶があったけど、現地で説明されると、余程しっくり来るものです。
これからも欠かさず出席しよう、と決意した日でした。

 

 2011.9.24 撮影